大学の進学が経済的理由で出来ない。

   

黒姫山紅葉 中盤全紙 黒姫山付近の紅葉は鮮やかで、見事だ。

朝日新聞に、経済的理由で大学進学が出来ない人が増えていると書かれていた。この経済的理由とは、高校を出たら家族の生活を見なければならないということではないようだ。私は自分で働いて進学した。高校も学費は無料の道を選んだし、当然大学もそのつもりで進んだ。それがもしできないということが本当だとしたら、日本はこの45年間に経済がずいぶん後退したことに成る。金沢大学に入学してみたら、自力で大学へ通う学生は、珍しくことではなかった。学生寮にはそういう学生が沢山いて、余った食事を食べて生活をつなぐ学生もいた。アルバイトをして学費を稼ぎだすのはごく普通のことだった。働きながら大学に行くと言うことが何故無理なのか。大学4年に成ってからは、部屋代を節約して、学校の中に暮らしていた位だ。簡単にいえば、美術クラブの部室に寝袋で寝泊りをしていた。その美術クラブというのは、従来の美術クラブから分離独立して、県体育館裏の元馬小屋のぼろ屋に部室を新しく確保したのだ。そんな人間は珍しいことではなかった。様々な手段で、多くの人間が自活して大学に通っていたのだ。

当時の国立大学は月々1000円の学費だった。たぶん年間12、000円だったのだろう。もしかしたら、年1万円だったかもしれない。これすらだいぶ払わないでいても、学校でも待ってくれた。アルバイトをすれば、1日1000円には成った。アルバイトで生活費は稼いでいた。特に夏休み、春、冬休みはフルに働いた。家が特別に貧しかった訳でもない。しかし、親の考え方が大学に行くなら自分で行けということだった。自分のやりたいことなら、自分でやれということだ。卒業してからフランスに行く事にした。その費用も当然学生時代と、その後の東京のエレベータ屋に勤めて貯めた。その時にはなにしろ家に住むなら下宿代ぐらいは出せと言われた。そういう親に当時も今も感謝をしている。まあ、突っ張っていたから親の世話に成る等、とんでもないと思っていた。何故、自分で働いて大学に行こうと考えないのだろう。そこがが不思議でならない。

自分で働いても、本当に大学に行けないのだろうか。まさかと思うが、昔より勉強に追われているということか。友人の中には、香林坊のキャバレーのボーイをしながら学校に来ていた人もいた。昼間キャバレーという所がどういうところか連れて行ってくれたが、不思議な所だった。肉体労働をしていた友人も結構いた。農家をしながら大学に通う人は、珍しくなかった。今の時代、時給800円くらいなら、仕事はあるようだ。夜、4時間働けば3200円に成る。月に8万円には成る。それで、学生寮に暮らして、奨学金を貰う。何とか自活しながら、大学に通えないはずがない。河原に小屋を建てて、学生を無料に近い価格で暮らしさせていた人がいた。その人は部落の出身だと自ら語った。苦労したから、苦労して学問をする人を助けたいと言っていた。あの家で暮らした友人は大学教授に成った。50年前の日本の方がまともだったというのだろうか。

学生寮で暮らせば、生活費は7万円と出ていた。それなら後は学費だ。これは奨学金をもらえばいい。あるいは、先ず学費分のお金を貯めてから、大学に行けばいい。早大に行っていた秋田から家出をした友人は文具店でアルバイトをして、お金を貯めてから早大に行った。その後彼は、フランスに行って絵描きに成るということで、私と入れ替わる様にフランスに行ってしまった。日本の高校生が活力を失ってきているということか。経済格差が目立ってきているのは確かだが、それに負けてしまわないで、大学に行きたければ行く方がいい。家族に仕送りをしなければならないので、大学に行けないこういうことまで出てきているのだろうか。それなら、家族には我慢してもらい、自分自身の為に生きた方がいい。それでも自力で行けないと言うなら、それはもう日本がでたらめな国に成ったということだ。

 - 暮らし