日々好日の65歳

   

西伊豆 10号 半島と湾が連なり、繰り返す。西伊豆の空気は少し、遠くの空気である。

いよいよ今日65歳になる。感謝の思いばかりである。日々絵を描き、農業をして暮らしている。動ける間は農業を続けて、座って絵が描けるなら絵を描いて、死んでゆければ幸いである。幸運を貰えたと思う。このように好きなことをして、一日一日を過ごしていられるという言うことは、幸運である。この新たに与えらる日々を、昨日より今日、今日より明日と、少しでも自分の目を開く所に進んでゆこうと考えている。65歳までの月日を考えると、様々な人のおかげで生きてこれた、としみじみと理解できる。もちろん両親のお蔭が一番である。たぶんこれは言葉以上のことで、過保護と言えるように育てられ、しかも全く勝手にやらせてもらった。両親は本音としては学問をやってもらいたいという願いがあったのだが、私の能力では、それに答えられなかった。能力と言うより、努力不足なのだ。それが時々申し訳のない気持ちになって、何かしらものになってやろう的な、つまらない意識になった。

所が父はすべてお見通しで、「好きにやればいい。自分と母さんは満足している。」それとなく口にした。あまりにそれとなくなので、今になってそういうことだったかと気付く。父は民俗学を志し、それを戦争で断念せざる得なかったということが、あまりに重かったのだと思う。父は、自分を犠牲にして、祖母と一緒に戦後商売を色々始めて、兄の彫刻家。弟の農学者の生活を支えた。そのような役割のつもりだったのだと思う。その後は、母の弟妹を家に呼んで学校に通わせた。親せきの子供の誰かしらがいて学校に行っていた。そういうことを自分の使命に感じていたようだ。それは大学に行くお世話をするということだった。それくらい学問に近づくということを、尊いものと考えていた。父の思いを考えると、もう少し若い内に勉強をすればよかったと、考えることがあるが、65歳になって、これしかできなかった自分を、仕方がないと許せる感じにもなってきた。

自分を深めるということは、見るという力が深まるということだと考えている。昨日より今日の方が、何かが分った。分ったというのは見えたということだ。絵を描いていて、どの絵も終わりまで描けることはない。描きかけの絵が500枚くらいはある。出来たように見えても、その絵を出せばもう一度描きだすことになる。前には見えなかった問題点が、改めてみると分る訳だ。この気付くことが正しいのか、見当違いなのかも分らないが、少こしは良く成りそうで、進めてみることになる。それが成るほどということもあれば、見当違いのこともある。しかし、やってみれば大抵の場合、何故前の自分にはこんなことが分らなかったのかとびっくりする。それでも、結果が世間的に自分の絵が良くなっているとは思わない。世間的な絵の価値とはそもそも関係のない所で自分の絵を描いている。「私絵画」である。私の絵は、私の納得を求めているだけだと、ますます感じている。今度の水彩人の講習会では、このことを作品に基づいて話してみたい。

田んぼの会では先日、勉強会を行った。田んぼの稲をどう見るかである。稲が見えるようになるということは、去年より今年の方が稲が見えるということだ。見えるようになれば収量が上がるという結果がある。作業が楽になるという結果がある。美味しいお米になるという結果がある。田んぼは絵より分りやすい。私田んぼではなく、誰にでも共通の価値がある。見えなければ、今年のトマトの様に枯れてしまう。ナスのように虫にやられてしまう。田んぼのことでは、見えているのにやらないということが、最近なくなった。自分の範囲が分ってきたので、日々が楽になった。これがありがたい幸福である。65歳以降はおまけの様なものだ。どこまで行けるかは分らないが、10年動いてなんとか田んぼの全体を理解したい。20年描ければ、自分の私が見えてきて、何かしら描けるかもしれない。ここまで幸運が続いたのだから、何とかなりそうな気がして来ている。65歳。思えば遠くまで来たものだ。

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