路上生活者の襲撃事件
東伊豆海岸 10号 小川和紙
路上生活者の襲撃事件を、「もやい」の人達が調査した、報告があった。こういう調査は日常的に接する人達にしか、正確な調査はできないはずである。行政にはできない、実態をうかがわせる調査結果である。
・40%の人が襲撃を受けた経験あり。
・襲撃は夏季に多く、襲撃者(加害者)の38%は子ども・若者。
・襲撃者は75%が複数人で襲撃に及んでいる。
・襲撃の内容としては、なぐる、蹴るなどの「身体を使った暴力」やペットボトルやたばこ、花火などの「物を使った暴力が62%を占めている。
・子ども・若者の襲撃は「物を使った暴力が53.6%にのぼる。
これは東京都での調査であるが、私の想像では小田原でもほぼ同様の結果が出るのだと思う。路上生活者への暴力事件は様々起きている訳だが、なかでも問題は子供や、若者の特に中学生の襲撃である。実態としては、40%の人の襲撃経験と言うのは、少ない結果かもしれない。路上生活の人の中には、とても誇り高い人がいるので、襲撃など受けたことはないと答えそうな人もいるのだろう。俺は中学生を脅かしているなどと、本当とは思えないことを言う人もいる。
路上で起こる、襲撃事件は本当に怖いことである。私も路上で寝たことがある。路上生活をしていたということではない。路上で寝て旅行をして歩いて回ったことがある。昔はカニ族と言う流行があって、大きな横に広がった、帆布のキスリングと言うリュックサックを背負って、北海道などを歩いて回るのだ。私も、そんな感じで、一人で島根鳥取を歩いた。神話の世界を歩いてみたかったのだ。毎日寝る所を探して、寝袋を広げてどこにでも寝た。寝る場所探しで路上生活の人と一緒に成ったことも何度かあった。役所の自転車置き場などに寝ることが多かった。今なら警備員に追い出されるかもしれない。当時は何だ、寝ているのか、ぐらいで済んだ。朝起きたら、頭の上がうるさいと思ったら、そこは役所の通勤の裏道だったということもあった。襲撃を受けることは一度もなかったが、そういう何かしらの、不安が無いわけではなかった。宍道湖の橋の下で寝ていたら、路上の人が現われて、路上の人の脇で寝させてもらって、却って安心だった。当時は駅の待合室で寝ていても怒られなかった。今のJRでは、震災の時ですら駅から追い出される。
小田原で起きた事がある。事実は確認できなかった。花火をテントに放り込まれて、燃えてしまったブルーシートの小屋もある。中に人がいてやけどをした人もいる。この時はテントに石を放り込まれたと言う。びっくりして追いかけたら、調度警察官が来た。そこで、今あの子供たちに石を投げ込まれたと、訴えたら、「お前がこんな所に寝ているのが悪い。」こう言われてしまったという。寝ていたということと、石をテントに投げ入れるということは別の問題だ。小田原警察には抗議に行った。しかし、事実は分らないままで、こういうことが無いように徹底するということで終わった。こういうときに、警官に脅かされれば、路上の人はそう言われても仕方がないと思ってしまう。もちろん違法にその場所に寝ていることは自覚がある。世間の人は迷惑だと考え、出ていけと考えていると思っている。どうにも仕方がなくそこまで追い込まれている。
人間には生きる権利がある。お金がなく、寝る所もなければ、そのあたりで寝ても良いに決まっている。確かに、だれでも頑張った方が良いけれど、どうにもならないこともある。迷惑が成るたけかからない、海岸とか、河原とか、そういう中間地帯の様な場所に寝ても良いと思う。ちょっと昔の日本はそういう社会だった。生まれたお寺には、よくそういう人が来た。そういう時には必ず何らかのものをお分けした。そうして縁の下に寝ることまでは受け入れていた。但し火を使うことは禁じていた。時々修行の行脚をしていると自称する人もきた。そういう人は本堂に泊まった。貧しい社会だから、貧しい人に寛容だった気がする。どうしようもないことは、曖昧に受け入れていた。社会には、そういう状態が必ずあるということを、子供ながらに理解した。現代社会は格差社会であり、格差を恐れるあまり、排除の論理を庶民まで持ってしまっている。妥協的であることも、必要なことではないだろうか。