自給自足大学
根府川の畑 10号 根府川の畑はずいぶん荒れてきている。場所によっては入れなくなった所もある。農業遺産にしても良いような、延々と積まれた石垣が崩れてきたところもある。
非電化工房の藤村さんの所を訪ねた。藤村さんは鎌倉から、黒磯の方に越された。那須で今度自給自足大学を始められたということで、とても興味があった。藤村さんは発想が新鮮で、しかも発信力のある方だ。いつも自分のことではなく、社会全体のことを考えられて行動される。全体が良くならなければ自分も良くなることはできないという、大きな方角を目指されている。非電化を主張されていた藤村さんが、まさか自給自足を言われるようになるとは思ってはいなかった。黒磯に行かれたということが、大きな要因になっている気がする。そして原発事故である。私も、山北に移住し、廃棄物問題に出会わなければ、自給という思想に目覚めることはなかった。自給を考えて移住した訳ではない。見切り発車で山北の山の中で開墾生活を始めたのだ。行動して初めて道が見えてくる。身体が頭を方向付けてくれる。藤村さんの自給自足というものが、どういうものかには私自身の方向を考える上で、重要だと思った。
お忙しい中お邪魔しては悪いという気持ちで、伺うことはできないでいたのだが、たまたま他の要件が出来たので、お話を聞くことができた。本当は田植えの終わった、田んぼを見せてもらえば色々分ると思うが、今回は田んぼや畑は見なかった。ただ、藤村さんにお会いできて、少し話を聞けたということが、刺激にも励みにもなった。自給の思想は決して孤立したものではない。それぞれが自分のやり方で、自分のできることで、自給を目指すことだと考えた。ともかく行動して見える形を作り上げることである。そのことが那須の非電化工房全体を見れば一目わかる。そこにあるものは、なるほどというものばかりであり、行くだけで気持ちが変わる。非電化工房全体の姿で、アピールしていることが分る。物があるということは、とてもわかりやすいし強いものだ。駐車場に苗箱が積み上げられていて、田植え機が置かれていた。田植えが終わって間もないのだろう。家の方には、新しいコロガシが立てかけられていた。
自給自足とは何か。永続性ということがある。拡大再生産を運命的に志向してしまう資本主義の限界を、ただむき出しの裸の人間が生きるという、暮らしの原点に立ち戻るということ。自給自足を体験してみることで、人間が生きるということは、自分の手足を使った行動だけで可能だということを自覚するということになる。そのことから、人間が協働する意味や、地域というものがどういう役割のものかを認識することになる。その地域が集まったものが国ということなのだろう。自給自足が仙人生活であるというのは志したことのない人の想像である。一人でもできるが2人でやるなら合理性が出てくる。当然3人の自給があり、10人の連携の意味が身にしみてわかることになる。この分断された社会の中で、自給というテーマで、どれだけ協働できるかである。一人で出来るというのは、社会に資本主義的に依存しているから言えることだと理解できる。本当の自給自足を続けてみれば、共同する仲間が重要であるかが分ってくるものだ。
山羊がいた。ヤギ小屋がとても美しい。2日で作ったという、土嚢積み上げハウスである。ナサでは月面に作るアースバックハウスというらしい。土嚢袋を積み上げて壁にしてある。土嚢袋の周囲ににセメントを混ぜた、漆喰を塗ったそうだ。屋根まで同じ素材で出来ている。これは手間さえかければ、誰にでも作れる家である。しかも美しい家である。穂高養生園にある家の何とも美しいこと。家づくりは本来自給するものであり。集落で共同する範囲のものであった。こういう作業を専門家に任せた所から、暮らしがおかしくなったのだろう。自分たちの手の届く範囲の暮らし。家づくりを自給としてやってみることの意味は重要である。この土嚢袋の家づくりを、ぜひとも実現したい。10人で2日間あれば出来るとみている。中を粘土で作り、火を焚いて、素焼き仕上げの家というのもあるらしい。これは兼藤さんが以前主張した自給の家ではないか。