安倍総理大臣の靖国参拝決行

   

いつか安倍氏は靖国神社に行くだろうとは思っていたが、暮れも押し詰まってやってくれた。安倍氏個人の痛恨の思いとは別に、外交は動いている。安倍氏の本音としては、こういう態度が日本にと必要だと考えて、あえて実行したと考えられる。それが安倍氏の思い描く美しい日本の姿なのだろう。その日本はどこの国の思惑も関係なく、自らの主義主張で行動できる国ということなのだろう。確かに、日本という国が一国だけで存在しているのであれば、分らないでもない。しかし、日本という国が、世界の中で存在し、日本の行動で耐え難い感情を持つ朝鮮中国があるということは、その何が正義かは別にして、配慮が要らないわけがない。それが近隣諸国との付き合いというものだろう。さらに安倍氏の本音としては、A級戦犯と言われる人こそ、尊敬すべき人であり、不当な戦争裁判を受け、日本の戦争責任を一身に背負わされた人という認識がある。神として祭られるべき人だという思いがあるに違いない。

安倍氏がそういう人間であるということは、隠されてもいないし、公言もしてきたところである。そうした考え方が日本の保守勢力がこの人を支持する、一番の根拠なのだ。戦争責任などということは、建前では認めているが、本音では全く日本が悪いところがあったなど思ってもいないに違いない。そういう考え人が自民党の政治家の中のかなりの数存在すると思われる。戦争に負けたから、戦犯などと呼ばれるのであって、正義は日本にあったのであり、勝てば評価されたと本音で思っているはずである。この本音と外交上の公式見解の乖離が、ナチスに対する評価と根本から違うところだろう。日本は、やむえず戦争に引きづり込まれたのであって、アジアの諸民族からの救援要請に従い、大東亜の解放の為に立ちあがったのだ。欧米の帝国主義に対抗し、アジア人の尊厳のために戦ったのだ。今でも安倍氏はこう考えていると思われる。では戦争敗戦の責任というものは、誰にあるのだろう。

第2次大戦に敗戦したのだ。その遠因は、明治政府の富国強兵策に由来する。敗戦国の外交として仕方がないので、日本の侵略戦争を認めているという不誠実な態度をとっている。この安倍政権の2重構造が、徐々に表面化してきている。しかも、大半の日本人は、経済至上主義に巻き込まれているから、そんなややこしいことはどうでもいい、今更こんな古い話を蒸し返すのはどうかしている、ぐらいにしか感じていないと思われる。しかし、侵略された当事者には過去の問題ではなく、日本の外交の未来を左右する重大な歴史認識の問題なのだ。第2次大戦の敗北を深い反省に基づき、自らの過去の過ちとして理解しない限り、日本は又この失敗を繰り返すはずである。日本が侵略して、多大な迷惑をかけたことは、公式に認めていることだ。A級戦犯と呼ばれる人が、潔い武士の魂の人であれば、責任を回避するはずがない。

中国や朝鮮の国内事情を、問題点をあげつらい、揶揄するような分析ばかりが幅を利かせている。これは日本人の自信の無さと、劣化の現われである。日本人は中国朝鮮から多くのことを学び、日本人になったのである。稲作の技術は天皇家が日本に広げたのではないかと想像しているが、その背景にあるのは中国朝鮮の、優れた農業技術、水土技術によるものである。安倍氏も、靖国に行けないくらいで、がっかりするのは弱い証拠だ。自らが総理大臣としてしっかりとしているなら、戦争で死んだ人達も、お参りに行けなとしても、必ず評価してくれるはずだ。そして、すべての国民が気持ちよく戦没者を慰霊する状況を作ることこそ、美しい日本の総理大臣の責任である。宗教色のない場所に、戦没者霊園を作ることだ。そこには軍人だけでなく、戦災で亡くなった人も含めて、慰霊すべき場所を作る。そして、今だアジアに広がる、何万に及ぶと言われる遺骨収集を行うべきだ。

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