特定秘密保護法の狙い
安倍首相の特定秘密保護法の国会答弁を聞いていて、率直なのでびっくりした。「各国情報機関との情報交換は、秘密厳守が大前提だ。日本版NSC(国家安全保障会議)の機能を発揮させるためにどうしても必要だ。」つまり、アメリカから軍事機密情報をもらうためには、秘密保護法が必要だと言っているのだ。アメリカは、同盟国日本の大使館の情報もスパイしていた国である。ドイツの大統領の携帯電話すら傍受していたとされる。そういう諜報活動の結果安倍政権の軍国化を一番心配しているのが、アメリカ政府となったのだ。戦争の出来る国になりたいという安倍政権に対して、その前提として秘密保護をアメリカから要求されているということになる。情報管理が出来ない国であるということは、アメリカの諜報活動の中で、実感しているのが日本に対する認識に違いない。アメリカは日本をスパイをしてきた結果そう考えるようになったのだ。安倍氏を軍国主義者だと看破したのは、アメリカの情報機関なのだ。
その安倍氏が軍事的国家の基本として、秘密保護法が必要だと考えているのは、当然のことであろう。日本版スノーデン氏の登場を畏れているのだ。秘密保護法の裏側では、国民に対する情報収集が行われる。これは2つ揃わなくては、軍事的機密の意味をなさないはずだ。むしろこちらの方が、主目的と考えておかなくては成らない。武力に頼ろうとするものは、恐怖心にさいなまれている。だから、国民各層の情報収集に熱心にならざるえない。テロ対策とアメリカでは言われているが、本音としては国民のコントロールの為に、国民全般のあらゆる情報収集が行われている。すでに、日本でも熱心に行われているはずである。だから、私としては、すべてをあからさまにすることの方が、むしろ気持ちが楽だし、身の安全だと考えている。私が危険分子というほどではないが、冤罪の不安である。その時に、何かがおかしいと分るように、日頃からすべてを公開していた方がいいという考えである。もちろんこんな小人物が大げさなことに、と笑われるようなことだが、小人物ならではの、自己防御本能のようなものだ。出た杭は打たれるが、出過ぎた杭は打ちにくい。
秘密保護法で報道の取材が問題にされているが、それは大したことではないと考えている。この程度の法律で委縮するような人間にはどうせ何もできない。私は報道には期待していない。むしろ、いざという時に報道は悪い方に作用すると考えている。期待していないので、制限などされても大したことではないと考えている。福島原発事故で、本当のことを報道できなかった事実を目の当たりにした。報道というものは、何か理由を付けて、いざという時には逃げ腰になると考えた方がいい。報道機関は肝心の時になれば、大本営発の都合のいい記事だけを、伝える可能性が高いと考えている。そのために、肝心な時には国民にとって悪いものになるとみている。報道の批判精神などというものは、初めから埋もれてしまっている。報道機関の中に、私などよりはるかに確かな批判精神を持っている人を知っている。しかし、そういう人であっても、発言できないような体質が報道機関の内部に生まれている。報道を信頼することでの危うさの方が心配である。
確かに情報隠しに悪用されるという心配な側面はあるが。この法律の主題は秘密保護にかかわる公務員の活動を規定する法律である。そのために、公務員の身辺調査まで行われるとある。警察内部の公安情報が、ネットに公開されて、その犯人が特定できないのがネット社会である。情報ネットワーク社会がさらに広がる中で、何を秘密にしようとしているのか、時代錯誤の法律の感がある。情報を知ろうとしたら、ありとあらゆる大量のものを集め、より分け分析するということになる。アメリカが世界に向けてやっている手法だ。イランが何をやっているのかということは、イランの公務員をスパイするのは、007の時代である。イランのあらゆる情報を広く集める。それを分析にかけてゆけば、化学兵器を作っているということは見えてくる。ネットワーク情報収集こそ企業でも国でも次の戦略である。そしてそれはすでに、徹底して行われていると見た方がいい。