犬のこと

   

我が家には3頭の犬がいる。10歳、9歳、3歳となった。年齢が気になるのは先には死ねないという気持ちがあるからだ。今のところどの犬も元気である。それでも10歳を超えると年寄りの犬になる。犬を飼う以上10歳以上寿命は責任だと思っている。その前に死んでしまえば私の何かが悪かったということになる。そういうつもりで飼っている。良い飼い方をしていて、先天的な持病などなければ、たいていの犬は10歳は越える。それでも20歳を越える犬は極めて少ない。だから、私自身が20年生きる自信がない場合は、新しい子犬を飼うことはできない。寂しいことだが、受け入れるしかない。本当のところは、3歳の福ちゃんは飼うつもりはなかった。今でも預かっているつもりである。ただ、預かった先がよくわからないのだ。

10歳を超えたのは、「どんちゃん」である。どんちゃん騒ぎをしているのでそういう名前がついている。メスでブルドックとブルテリアの交配をしたものである。和歌山の方でそういう交配をした人がいたのを、インターネットで見つけた。ラブラドルが2頭相次いで死んでしまい、何か飼いたいと探していた。以前から興味があった交配だったので飼うことにした。ブルドックは中学生のころ飼っていたのだが、とても弱かったので、もう一度飼う気がしなかった。ブルテリアも飼ってみたいと長年思っていたのだが、遺伝的な病気なども気になり、飼えなかった。そこでこの二種の交配種なら、丈夫で面白いだろうと考えた。性格のことである。ブルドックの犬らしからぬ、自尊心の高さが好きだ。そして、ブルテリアの愛嬌のある風貌や性格も興味がある。ラブラドルばかり飼っていたので、今度はと思っていたら、こういう交配をわざわざした人がいたのだ。これを闘犬のための交配という人がいるが、ありえない誤解だ。実に臆病で弱い犬である。そして特徴は人間好きである。人間に興味がある。自己主張が強く、わがままである。そこが飼ってみたかった性格である。

9歳の犬はアメリカン・ピットブルテリアである。どんちゃんがメスだったので、オスを探したのだ。名前は雷田である。雷の鳴る日に来たからだ。雷は田んぼの豊作を意味する。犬は1匹で飼うものではないと考えている。犬同士の付き合いが大切である。そこで、似たような犬を探したのだが、どうしても見つからず、京都にピットブルのブリーダーがいて、この方は、ピットブルの闘犬という誤解を解こうと頑張っている人だった。グローリータッズ犬舎というところだ。ショータイプのピットブルはおとなしく、飼いやすい犬だと考え、日本で犬種として認めさせようと頑張っている人だった。これにはちょっと打たれるものがあり、それならこの犬種にしようと考えた。ピットは闘犬という汚名を着せられた不幸な犬である。今では、ショウタイプの愛玩犬が主流で、これほど頭の良い、性格の良い犬はいないと思う。いつか日本でも主流の犬種になるだろう。長年ラブラドルを飼っていたのだが、頭の良さはラブラドル以上である。確かにラブほど従順ではないが、飼い主に対しての向かい合い方は、とても本気でまともである。

そして3歳の犬がセントバーナードである。メスで南相馬の誰かから預かっている犬である。預かっているのだから、返すつもりであるが、どうもそうはなりそうはなりそうもない。事情が許される限り飼い続けるつもりである。メスで50キロぐらいの体重で小さい方だと思う。性格はおとなしいのだが、甘えすぎる犬だ。寂しい思いをした犬は甘えるのは仕方ががいことだ。誰とでも、どこの犬とでも仲良くしたがる。飼いやすい良い性格の犬には違いない。騒ぐこともないし、散歩もしやすい。力はさすがに強いが、逆らうようなことはないので問題はない。雷田と仲良くならないところに困っている。福は仲良くしたいのだが、雷田がどうも駄目だ。大きいので、怖いのだろう。実際は攻撃性がないので、その内仲良くなるだろう。餌は意外に食べない。雷田と同じくらいである。

 - 身辺雑記