未来党の総括
未来党の失敗を教訓にしなければならない。失敗の主因は未来党に投票しなかった選挙民にある。選挙民が未来党を選択できなかった。未来党の嘉田氏と小沢氏の合同の失敗が言われるが、それならまだましな話である。選挙民が反原発を支持しなかった。さまざまな要因から、こう判断した結果だと思う。今回のことで現実政治へ絶望した人は多いいだろう。自民党から変化を求めた民主党も駄目だった。あれほどの原発事故があっても、のど元を過ぎれば二度と事故がある訳がない位の、根拠のない願いにゆだねようと言うことだろう。海岸近くに住んでいる人多数の方が、津波来たら住んでいる家など流されてしまうけど、その時はその時で仕方がない。このように本気で話されることがある。どうにもならないことを心配しているより、忘れている方がましだ。こんな日本人らしい諦めの心境と同じなのではないだろうか。
報道の多くは自民党の復活を望んだ。それはマスメディアが誰よりも自らが滅びることを予測し、不安の中に居る存在だからである。新聞もテレビも時代に取り残されそうである。かつての存在意義を失い始めている。多くの既存組織は生き残りへの不安の中に居る。自己保存本能が強く働く。生き延びるために、過去の社会への回帰願望である。未来は困るのである。未来には自分の居る場所がなさそうである。これが選挙民共通の不安である。昔は良かったとなれば、未来党の選択はない。原発は問題ありだが、年金が無くなるより、ましではないか。明日の仕事が無くなれば、未来の原発事故どころではない。これが、自民党を選択した人の願望だったと思われる。現実を見たくない。残念ながら、現実の日本は後退せざる得ない。後退しながら、日本のあるべき位置を見つけるしかない。これはつらい作業だ。
反小沢の検察に始まる、追い落とし作戦は成功した。良くみんなの党の渡辺氏は政策の一致という事を発言する。今後、小沢氏とは政策が一致した所で、合同出来ないであろう。小沢氏の生活の党の政策批判より、小沢氏に付きまとうイメージ作戦が成功したのである。日本的政治なのであろう。田中角栄氏も同様の方法で葬り去られた。アメリカに対抗しようとした政治家は何らかの形で、政治生命を断たれてきた。鳩山氏もそうだろう。原因も方法も様々であるが、結局はそうした結果になる。アメリカに対抗しようというような骨のある政治家は居なくなった。国粋的な政治家というものが居ない。石原氏も、安倍氏もアメリカからの自立などとは間違っても言わない。むしろ、集団自衛権を主張し、アメリカの傘下に入り、一緒に戦うので保護して欲しい。というような属国主義である。右翼的と言っても赤尾敏氏の愛国主義とは大違いである。今回の選挙の間違いの結果が、しばらくの日本政治の立ち直りに影を落とすことだろう。未来党と小沢氏に対する嫌悪感を作り出したことは、報道の自己防衛本能である。
滋賀県知事としての嘉田氏は、国政に加わる政治家としてのしぶとさが欠けていた。反原発のスローガンが曖昧になり見えなくなった。60%の国民が原発をやめようと考えた。にもかかわらず、自民党が大勝した。その結果は良くとも、悪くとも、選挙民の責任である。自民党的政治に戻ることを選択したのだ。政策ではなくお上を支持する感覚への回帰。何を発言しているのかなど、紛れ込んでしまった。経済がすべてという所に日本人全体が迷い込んでいるのも現実なのだろう。選挙はおかしいものだが良くできている。民主党の幼稚な政治的な能力にあきれ果てた。維新だろうが、みんなだろうが、同類のお子様政治では無理だという心理もあると思う。まだ自民党の方が、お上として政治を託せる。つまり、民主党にあきれた反動が今の政治状況。しかし、アベノミクスとかいう政策は必ず失敗する。実体経済の伴わない、円安、物価高は今後国民を苦しめるに違いない。それでも政治をあきらめない粘り強さ、大変であるが耐えるしかない。