舟原田んぼ終わる。
舟原んぼは24日の籾すりで終わった。家の田んぼも25日に終わった。3つの田んぼが終わって、祭りの後状態。もう田んぼにお米が無いのに、つい明るくなると田んぼの水回りに出そうになる。舟原田んぼの収量は1116キロ、反収7,44俵となった。ただし水路にも作ったので、これがべつに7キロはありそうなので1123キロ反収7俵半と考えればいいかもしれない。舟原田んぼではセシュウム対策と言う事を最優先して、水を例年になく辛めの栽培をして、トロトロ層を作らない栽培。当然、ソバカスの散布もなし。生き物の発生もぐっと減少した。稲藁堆肥を少し入れた位で、ほぼ無肥料栽培のようなものだから、これだけの収量はよく出来た方だ。収量:2007年1152キロ 2008年1048キロ 2009年1125キロ 20010年1300キロ 2011年1168キロ 2012年1116キロ
2012年 舟原田んぼの作業
3月20日(火) 籾洗い。
4月8日(日) 土ふるいと苗床の整備
4月15日(日) ○種まきセルトレー
6月3日(日) ○あら起こし 周辺部をしっかりと掘る。畦直し (畦の草刈り)
6月9日(土) 代かき 畦塗り 苗移動と配置
6月10日(日) ○線引 田植え
6月24日(日) 継続的にころがし(出れない人は他の日)(畦の草刈り)
7月22日(日) ○手取りの草取り全員 中干し (畦の草刈り)
10月14日(日)○稲刈り ハザがけ
10月21日(日)○脱穀(乾燥の具合を見て) 竹と藁の片付け
10月24日 籾すりと配布
今年は木村さんが全体管理をしてくれた。私の知っていることはできる限り伝えるようにした。一番大変だったのは6月の水害、1,5キロほど上の入水口付近が砂利で埋め尽くされたこと。この水路を復活する作業は極めて困難だった。結局4,5回は作業を繰り返して、完全に復旧した。水路を利用している、3軒が協力して何とか切り抜けた。そして、実ってからのイノシシの襲来。このしつこい攻撃には、防戦一方だった。それでもかろうじてしのいだという感じである。被害はハザ掛けしてからの10束ほど。今後、続くだろうイノシシとの戦いには、本気で当たらないと敗北することになりそうだ。今年はそこで採れた稲藁は、そこに戻すという事で、藁堆肥を積んだ。米ぬかでなく、ソバカスを加えた。今年は下の田んぼだけが藁堆肥田んぼだから、味の比較をしてみたい。
稲は分げつが少なかった。13平均と言うところか。初期とても静かな田んぼだった。無肥料の特徴かもしれない。しかし猛暑に成り、そこから稲は勢力を増した。これならと言う状態だったが、後半の伸びがもう一つだった。コナギは結構出た。ソバカスを使わずトロトロ層の形成が薄かったからだろう。ともかく水を減らした栽培なので、ヒエの発生が心配されたが、何故か出ないでくれた。苗作りは木村さんが本気でやってくれて、素晴らしい苗にになった。苗床を狭くしたという事が、良い結果になったと思う。苗が良かったことが最終的な成果につながった。水温が気味悪いように初期から高かった。20℃近い。そのせいだと思うのだが、水路のお米まで実った。不思議と言えば、全くスズメが来なかったことだ。これは欠ノ上もそうなのだが、どういうことなのだろう。どちらも有難いことだが、気味が悪い。
お米の色つやは、素晴らしいものがある。味は格別良かった。今までも舟原のお米は美味しかったのだが、今年はさらに美味しい。実においしい。味での判断は全く個別のことで、人によって異なる。私としてはこんなにおいしいお米は初めてである。と言っても特別のと言う意味では無く、普通に平凡に食べるのに十分であるという意味。飽きのこない味。家の脇に作った田んぼのお米も、食べてみたいのだが、20キロくらいしかなかった。イノシシに相当踏み荒らされた。これは病気が出なかったので種籾に大切に保存する。来年舟原田んぼに参加できるかどうかは、まだ決められない。私が借りている田んぼであるし、同じ集落に暮しているわけだ。
昨日の自給作業:クン炭づくり、畑の耕運、田んぼの片づけ3時間 累計時間:51時間