良い農産物は高く

   

良い農産物の価格が高く評価されることは、どんな社会でも当たり前のことだ。医療の保険制度の点数制が、良い医師を育てることを阻害していると言われる。腕の良い、見たての良い医師にはそれに相応しい、報酬が必要と言う論がある。勉強しない医師ても、一度医師になれば、医療報酬は変わらないという制度に問題があると言う事。初めて手術をする医師と、名医の手術が同じ価格と言うのは、手術してもらう側の命がけから言えば、確かにおかしなものだ。しかし、価格で命の安全度が変わると言うのも奇妙なものだから、微妙なものではある。農産物の場合、良いものがそれに相応しく評価されると言う事が無ければ、農家の生産方向が質より量に成るのは、当然のことである。例えば、お米の天日干しの方が美味しいのは当たり前のことだ。それが価格に転嫁できるなら、やる人もいるだろう。しかし、農協に出すのであればそんな手間をかける人はめったにいないだろう。

日本の農産物は、安全で質も良く美味しいという事に世間相場では成っている。しかし、そんなことは過去の幻想である。日本人が味の判別が出来なくなったために、ごまかしが効いているだけである。インチキグルメさまさまである。そう言うことは、自給をしてみれば嘘であることに、気付いて行く。化学調味料と添加物で育った味覚感覚では、本当の味を見分ける事は難しい。例えば豆腐の味の違いというものは、微妙なもので、何がおいしい豆腐か分からない、と言う人がいる。大豆の美味しさが豆腐には反映するのだが、美味しい大豆と言うものが、畑ごとに違う位だから、よほどの幸運でもなければ、美味しい豆腐にぶつかることはない。存在しない期間があまりに長いので、豆腐の本当の美味しさは忘れらている。そうなると、今度は本物を食べて、まずいという事まで起こる。うなぎがそうで、天然モノより、養殖の方が柔らかくておいしいと言う人の方が多い。ついでに言えば、安全の方も嘘である。草一本ない農地を除草剤で実現し、化学肥料をおごるのが日本の普通の農業である。

味と言うものの判別が出来ない消費者が多数派を占めるようになれば、天日干しのお米と機械乾燥のお米の価格差はよほどのことでなければ、成立しない。同様に、美味しいお米を作るための様々な工夫も、○○水を使ったとか、○○微生物を投入したとか、まやかしのようなものの方が、付加価値が付いたりする。食の自給などと言ってみても、外食で無いという位にしか受け取られない社会である。こうした環境の中で、本物を生産できるのは、むしろ素人である。自分の為に本当のものを作る。採算抜きで生産されたものだけが、本当のものの可能性がある。そうしてみると、決してコシヒカリが美味しい訳でもないことが分かる。特徴のあるお米は多様なのだ。有機農業で作れば美味しいというお米はアキニシキだった。イセヒカリの硬質性も食べ方である。栽培によって適合する品種がある。長年自家採種することで美味しく成る場合もある。

お米の味だけではない。「地場・旬・自給」は美味しいものを食べるための原則である。美味しいだけでなく、安全であり、医薬同源と言う事に成る。もしこういう事を消費者が理解してくれたら、生産者も良い農産物を作って、生計を立てることが出来る。品質の良い食品と言うものに目を開いてもらいたい。今や、カリフォルニア米でも結構おいしい。と言うことらしい。それは味が分からないから、差が無くなったに過ぎないと、新米を食べながら思う。日本は今もって大量生産農業を推進しているが、それでは良いものは出来ない。こうして海外からの農産物に負けることに成る。良いものが高く評価される環境が出来なければ、海外の安い労働力と、広大な農地を背景にした農産物に負ける。消費者が生産者を育てるし、ダメにもする。全体を変えると言うことは出来ないが、せめて、良い卵を作り、本当の卵の味を伝えたい。

昨日の自給作業:クン炭づくり1時間、稲刈り2時間、籾すり5時間 累計時間:47時間

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