本が売れている

   

本は売れていると思う。根拠はないのだが、ブックオフが増えているからだ。ブックオフは安売り古書店である。古本の価格を安くした。古本をネットで買うと言う事もあるのだが、これもかなり安い。以前ネットで文庫本の古本を2冊買った。片方はその古本屋さんは高かったのだが、あえて同じ所に2冊頼めば、送料は安く成るだろうと思って頼んだのだが、何と同封で来たのに、それぞれの送料分が取られた。それなら、最安値のところで買えばよかったとがっかりしたことがある。そう古本屋さんと書いたが、古本屋さんなのだかどうかは分からない。個人のような感じも受ける。以前聞いた話では、売れている書物が何かを調べ、その古本が相場より安く売られているのを買いとって、転売する人がいるそうだ。その売買益で暮らしていると言われていた。それくらい古本の価格は開きがある。びっくりするような本が売られている。祖父の大正時代の和歌の本がネットを探したら出てきた位である。

ブックオフが古本価格を下げたという事だった。私は、電車の中では本を読んでいないと我慢が出来ない。そういう本は大体読めば捨ててしまうような本だ。そう言う意味では、ネットブックでもいいのだと思うが、慣れと言う事もある。まだ紙媒体の方が好みである。ブックオフでは100円で本が買える。村上春樹さんの文庫本も大体のところ100円で買って読んだ。ブックオフの御蔭である。捨てられてしまう本も少しは減っただろう。古本相場全体の価格を下げたと思う。感触では半額になったような気がする。とすると、本は読まれているという事に成る。市場規模はそれほど減少していないのだから、本は倍読まれていることになる。活字離れと言うのは週刊誌が売れなくなったということだろう。週刊誌が最初にネットの影響を受けるのは当たり前だ。週刊誌と言うものを30年は読んだことが無いので、内容を書くことは出来ないが、売れるのはスキャンダル的記事だろう。これは無責任なネットにはかなわない。大相撲の八百長疑惑で、4000万円の賠償が裁判所から出た記憶がある。結局八百長はあったと言う事になったのだが、返還したのだろうか。

週刊誌はあること無いことすれすれを記事にして、部数競争をしていた。これが出版業界の経営を支えていると言われていたが、どうも嘘くさい。もう一つに漫画週刊誌と言うものも、衰退しただろう。次にネットに移行する分野である。そうすると、いわゆる書物は読者を増やしているのではないのだろうか。読書の秋なので、急にこんなことを思った。本を読みたくなるのは、波がある。読みだすと止まらなくなる。今後、ネットで読めばいい本と、手にとって読みたい本とがあるのだろう。良く出来た詩集などは、美術作品でもある。活字を楽しむということだってある。絵をネットで見れば済むとは思えないので、かえって良質な本の意味は増してゆくはずだ。もう少し暇になれば、じっくりと読みたいと思って買ってある本が、本棚にある。井伏鱒二全集である。それだけで気持ちがいい。書きうつしたい位文章が好きだ。

読書人口はこれから増える。団塊の世代に時間が出来れば、本を読む。漫画や週刊誌は売れなくなるだろうが、年寄り向きの本はますます読まれるだろう。しかし、この良い本が私が中学生の頃と、あまり変わらないという自分に驚く。滋賀直哉や柳田國男を読んだのだが、私にとってはあの頃読んだ本をもう一度読みたいだけで、頭の中は変わらない。バスの待ち時間に、小田原駅の駅ビルの本屋さんを覗いた。結局今生きて書いている人の本に手が伸びなかった。歳をとったということなのか。店は、レジが行列の出来るほど混んでいた。若い人たちがほとんどである。きっと現代の本の世界が広がっているのだろう。2011年のベストセラー100を見ても、読んだものは1冊も無い。驚いたことに、買いたくなったのは羽生善治氏の本だけだった。時代から離れてきているらしいことと、本と言うのは本当に膨大にあるということだ。

昨日の自給作業:ハト麦の収穫など1時間 累計時間:16時間

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