森は海の恋人

   

小田原でも「森は海の恋人」の畠山氏が宮城から講演に見えている。そしてブリの森プロジェクトが計画されている。
「森の再生からブリの来るまちへ」をテーマとし、
まずは手入れ不足の人工林の整備から始めました。
腐葉土のない人工林は、枝打ち間伐によって地表に光を届け、
適切な採光により下層植生の回復を図ります。
そして地域の自然植生を大切にし、腐葉土を作る広葉樹、照葉樹の成長を促します。
必要な所は植樹を行います。
長く地道な活動が必要ですが、いつかこの山並みがもう一度大きな魚付き林となるように、
地域に根ざした森づくりを一歩一歩進めたいと思います。

このように訴えている。この計画は素晴らしいとことだ。しかし、農業者として残念なことに、田んぼと言う重要な要素が抜け落ちている。あえて抜いているのかは分からないが、田んぼの水に対する調整能力は不可欠な要素である。木々の生い茂る豊かな山から、豊富に流れ出た水は、ひとまず稲作を支える。田んぼに一度溜められた水は、多様な微生物を育み水も力を増す。そして海に豊潤な水を流れ出す。それが東アジアの海を豊かにして来たのだとおもう。山があり、海があるという、自然循環の中に、田んぼという人間の営みが織り込まれている見事さが、東アジアの農業には存在した。自然を大きく改変しないように、手入れを続けて行く、人間の暮らしのあり方。箱根丹沢の山の木々は大消費地江戸への薪炭の生産地であった。国内でエネルギー自給していたのだから、相当の量の森が必要だった。森の持つ資源的意味が消費地に近い、有利な薪炭生産地域を形成する。二宮尊徳は、森のファンドづくりをしている。

海の健康度、日本は69点 世界で11位。海の汚染の程度や生物の状況などから「海の健康度」を数値化して求める方法で、世界の約170の海域を評価した。日本周辺の海は100点満点中69点で世界平均の60点を超え、11位だった。江戸時代であれば、80点くらいにはなっただろう。それでも69点と言うのは、かろうじて過去の遺産が生きている姿ではないか。山や海は許容度が大きいので、まだ汚染が具体的に出ていないだけのような気がする。気が付いた時には、海の魚が激減しているような、取り返しがつかないということになりそうで怖い。まだ間に合うということでもありそうだ。間に合うとすれば、田んぼの事をどうしても織り込む必要がある。豊かな田んぼをどのように広げて行くかである。稲作も大規模工場化される方向だ。農薬を多用する農業では、水を育てるという事にはならない。小田原でもブリの来る森のプロジェクトに、めだかの保全の田んぼを連動させることはできるのではないだろうか。

山から海まで水が下って行く姿を考えた時、広く張り目ぐされていた、農業用水路の意味も重要である。暮らしを潤すものであり、又田んぼを育む水であったはずだ。里山の薪炭林の管理が、農業用水の管理となり、豊かな田んぼを作り出していた。その結果として、海を豊かにしていたのだろう。農業用水の見直しが必要である。農業用水が、生活雑排水と混ざって、まるで下水化している所がある。神聖なる水に対する信仰の終焉。少しの心遣いで回復できる用水路も多い。農業も人手不足、経営的な合理性から、3面張りの用水に変わり、生物相の豊かさを失い始めている。どうやって豊かな水環境を取り戻すかは、農業者だけの問題では到底済まない状況である。山から、森から、川から、田んぼから、海まで、町はどこに位置するのか全体の総合性を見つめ直す必要がある。故郷は、小鮒釣しかの川と歌っている。

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