沖縄で考えたこと 6
沖縄に着いて以来、祈りということを考えてきた。今までの自分の暮らしの中に祈りがなかったということ。願いが祈りに繋がっていなかった、傲慢。自分が生きるということの意味を考えた。一日一日が充分に生きれるか。明日はどうなのか。生きるということは思うに任せないということが何とおいいことか。残念な後悔に満ちている。それでも今日はしっかりと生きよう。その思いを祈りが支えるのではないか。何を祈るか。沖縄にしばらくいた草家人叔父は毎朝太陽に祈っていた。形のないものに祈るということは難しい。沖縄では祈りの場をいたるところで見た。要するに何も無いただの場所もある。ご先祖に祈るということもある。自然に対して祈るということもある。それが仏壇であったり、神棚であったり。形というものを必要とする。祈るとすればそれらを代表して、太陽というか、東方ということはある。
沖縄には祈りの場が残っていた。朝の太陽を礼拝するという何かが、自分の中にない。むしろ、祈りはご先祖に繋がる、父と母を通してである。そして、自然に繋がる水土である。自身坊さんでありながら、宗教的な臭いが嫌いだ。どちらかと言えば仏壇を拝んでも良いのだが、猫がいたづらするので、そういものは部屋には置けない。とすると、壁に何か簡単なものを張るということになる。となると言葉がいる。「父母成水土」こういう紙きれ一枚でも偶像と言えば言えないことも無い。信仰というものを自分で立てるというのも難しいものである。これこそ沖縄の水土であれば、ぐるりと石垣を囲んでそれだけでいいということもある。沖縄の諦めなければならないことに対して、対する姿勢のようなものに感じた。少し違うか、祈りの力を信じていた現実を見たような気がした。
今回の福島第一原発の事故で、どうにもならないという事を身にしみた。この40年間何を生きてきたのかという、虚無的な気分に捉われる。そしてこの事故ですら、安全を顧みることなく即座に原発輸出を続けると発言した、驚くべき政府と経済界。日本政府の目指す方角は地球破壊の道としか見えなくなった。政府つまり、この世界の方角と自分の生き方との開き。必ず、次の事故が待っているとしなけばならない。この愚か過ぎる選択を変えるには、何が出来るのかと思うと、全く絶望的にならざる得ない。エコノミックアニマルと言われた日本人の姿だ。人間が生きる本当の幸せな姿とは何なのか。祈り。願い。かなわぬ時の神頼みかもしれない。それでもそれ以外出来ることはない。聞得大君(きこえおおぎみ、チフィジン)とは、琉球神最高神女(ノロ)。沖縄王国が滅びゆく中でも沖縄の平安を祈り続けたそうだ。
沖縄について、旅の感想を続けて書いてきた。知識も特別にある訳でもない。専門家の方から見ればおかしなことばかりに違いない。それは承知であるが、自分なりに書きとめておくことの方がいいと思っている。戻ったら沖縄に移住するのですか。何人かにこう言われた。全くそんなことは考えてもいない。小田原でもう少しやろうと思っている。又沖縄に行くことがあるかあるのかどうかすらわからない。ただあのグスク(沖縄での城)の祈りの場は、心の中にある。神聖な空気こういうものを描くことが出来るのか。小田原で祈りの場が作られたとしたならば、天子台あたりだろうか。ともかく小田原という場所で、生きてみようと思っている。畑や田んぼがやれる間、鶏が飼えなくなるまでこの場所でやってみたい。