たばこで12万9千人が死んでゆく

   

喫煙率ほぼ20%と言うことである。1300万人である。死亡する人が、毎年13万に近くいるということは、100人の喫煙者のうちたばこが主たる原因で1人が死んでしまうという数字である。放射能の比ではない。これでもあなたは煙草を吸いますか。という驚くべき数字である。何かが不自然である。死因は複合的である。たばこを吸って居て、お酒も飲んでいる人の場合。運動しないで、煙草を呑む人。喫煙はマナーさえきちっと守ってくれれば、死のうと病気になろうと自己判断である。ただし医療費への影響は違う。たばこ税と調整したらどうか。医療費は増大して行くばかりだ。わたしのように医療にかからない決意をすれば、何十兆円が要らなくなる。医療の前に予防である。健康に暮らす努力は自分の為である。自分の為の努力が、何十兆円の節約にもなる。保険や医療の仕組みの論議がこの点に向かおうとしない。医療費の増大を是とする人たちが、集まって論議していても駄目だ。

たばこと言うものは一度もすったことがない。これは性格による所が大きい。中学生くらいになると面白半分、突っ張り半分で、吸ってみる人間も多かった。私の場合、自分と言うものに全く信頼が出来ない。例えばこのブログも1日休めば全く書かなくなる。という気がするので書き続けている。たばこも一度吸えば、止める能力がないと分かっていた。だから初めから吸う事をしなかった。そう言うものは結構に多い。賭博もそうだ。大王製紙の御曹司を笑えない。ハマり込むからやったことがない。はまった将棋には随分と時間を取られた。5段になるまでやったのだから、相当な時間の無駄をした。将棋を止められたのは、米長氏が将棋連盟の会長に成って、耐え難い発言をしたからだった。お酒はどうだろう。お酒自体は好きな方だろうが、めったに飲まない。お酒に対する中毒的反応が無い。中毒で思い出したが、小説にははまる。止められなくなる。文字中毒というものあるのか知らないが、小説渇望症が周期的に表れる。

たばこと似たようなことはいくらでもある。酒だってその害のリスクレベルは別にして、アルコール中毒でダメになる人も多いのだから、怖いと言えば怖いものである。有難いご飯だって食べ方によっては良くないものになる。良い加減であれば、悪いものなどない。加減を間違えばあらゆるものが危険なものになる。加減が出来るかどうか。煙草を1日1本と決めて、必要な時にだけ吸うことが出来る人が居るだろうか。それが出来るなら、たばこも素晴らしい気分転換の道具になる気がする。律して吸うのであれば、たばこが原因で肺がんになっても納得がゆく気がする。しかし、人間の意思は弱い。到底そんなことはできない、君子危うきに近寄らず。としておいた方が無難である。読書中毒症状になると、寝ないで本を読み続けるから、目には実に悪い。そう言えば、絵を描くことは、よほどでないと描かない。よほど気分良く描きたくなった時にだけ、絵を描く。

絵を描くと言う事を習慣化したくない。何気なく描きたくない。仕事ではないし、やらないでもいいものだ。やらなくても誰も困らないし。むしろ資源の無駄使いをしているようなものだ。公募展の絵など一枚も無くなっても社会は困らない。心底絵は社会の無駄のようなものだ。こんなことで、文化勲章などいつまでも出しているのも、おかしなことだ。絵画はもう文化とは言えないし、伝統工芸と言っても空しい。たばこだ。そうだ、たばこと同じだ。全く個人的なものだ。絵を描いていて、100人に1人が死ぬことは無いから、リスクは無いように見えるが、絵にかかわって駄目な人生を送っている人は、案外にいる。そう言う意味では、たばこより害は大きいかもしれない。絵を描くなんて、良い趣味ですね。こういうことを言われることがあるが、良い趣味とは到底言えない。「絵を描いて死んだ。」でいいと思っているのだから、もっとも始末に負えない中毒なのかもしれない。

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