大学の秋入学
東大の秋入学が、5年後に実施されるということで、進めているらしい。理由は世界の大半が9月入学で、グローバル化に取り残されるということらしい。東大は世界大学ランキングの10番台の大学であったものが、現在30番までさがった。危機感を高めているということが書いてある。現代の大学生は良く勉強すると発言する教授も多い。大学への予算も40年前より増えている。それなのに何故かランキングが下がる。これでは理由が分からない。世界のレベルが上がったと言うなら、悪いことではないが、世界が良くなったということでもないので、大学は何をしているのかということでもある。勉強の仕方がおかしいのではないか。原子力村を作り出すような、頭の良さはいくらあっても仕方がない。人間が幸福になるための学問。これが不足しているということではないのだろうか。世界ランキングなど実はどうでもいい。上位を占めるアメリカの大学が、良いアメリカを作っているとは思えない。ドイツやフランスの英語圏以外の大学が比較して低くなる。
私が大学で、勉強をしたのかどうかは良く分からないが、人間が生きると言うことはどういうことなのかを、必死で考え、学んだ4年間だった。自給に生きようと考える基盤が出来た。大浦氏をはじめとする何人かの友人が、農家仕事を中心に成って行いながら、大学に通っていた影響が強い。大浦さんは100坪あれば人間食べるものくらい十分に出来る。やりたいなら家に来てやればいいと言ってくれた。彼の家は津幡と言うところにあり、大きな農家であった。確か父親が居ないので、彼が一家の中心として働く以外にないようだった。「今年は全部1等米だった。」そう語る彼の誇らしい顔が浮かんでくる。河北潟の埋め立地が完成したが、お米を作ることは出来ないと言っていた。今はどうなっているのだろうか。自分の事を書いたのは、学問とは何かが、違っている気がするからだ。大学がいくら優秀で、ランキングが高くても、ホリエモンの後継者を作り出すのでは、世の中を悪くするばかりだ。学問の方角がおかしいという気がしてならない。
松下政経塾と言うものがある。政治家の養成機関のようなものらしい。これは大学ではないのだろうが、野田総理もそこの出である。これからさらに多くの出身者の政治家が現れるだろう。勉強を良くするのかどうかも知らないが、これで日本の政治が良い方向に進んでいると言えるだろうか。稲作の手伝いと指導と言うことで、政経塾の農業活動にかかわったが、表面的で農協や生協企画の農業体験事業以下だと思った。こんなレベルの体験をして、農業が分かったなど言われたくないと思う。農業をやると言う趣旨は良い。だから協力したいと考えた。しかし、やるなら本気でなければ学べるものがない。松下政経塾の食事はすべて自給するぐらいの覚悟が必要である。その気があるならまた協力したい。大学で学ぶためには、何の為にが無ければ始まらないだろう。本来就職など大学の学問と関係がない。大学がビジネススクール化している。
グローバル化と言えば私は大学に出てフランスに留学した。まず菱電エレベーターの小さな下請け会社に勤務してお金を貯めた。2月頃からエレベータの仕事を始めて、8月まで半年間働きお金を貯めた。このずれは助かった。120万くらいになった。その話を聞いたおじいさんが、それなら、私が同じだけを出してあげると言って、100万円留学費用を出してくれた。私の父は、その間も家賃と食費ぐらいは家に入れなければならないという、有難いというか、厳しい考えの人だった。大学に行っている間も、自活していた。仕事をしながら大学に行った。奨学金を受けようとしたが、父親の収入が大きいから駄目だった。それでも行く以上大学で何を学ぶかは無駄には出来ない。100坪で何とかなると思いながら、自分の道を選んだ。人間の幸せのための学問が必要。一番じゃなければと言ってノーベル賞をもらってもだめだろう。こちらの方を大学では考えて欲しい。