祝の島
秦野の丹沢美術館で「祝の島」という映画を見た。上関原発建設反対の映画である。1982年に計画発表以来反対を続けてきた人たちを描いた映画である。上関と4キロで向かい合う祝島の人々の暮らしが丁寧に描かれている。漁師の暮らしはある意味実に豊かで地域に根を張っている。この島の魚が築地にまで出荷されるそうだ。海の恩恵。その豊かな美しい海を埋め立てて、工場を作り続けてきた瀬戸内海。30年反対に生きざる得なかった不運。しかし良くも、頑張ってくれたという有難さで、涙が溢れて来る。先日100万人署名が政府に提出された。山口県知事も、光市市長も、このままでは埋め立て許可は出来ないという方向が出てきている。今さら新しい原発を作るなどとんでもない話だ。油断せず、建設中止まで追い込まなければならない。
山口県上関町は、瀬戸内海周防灘に浮かぶ周囲12km、面積7.昭和30年代には、人口3000人を超える現在では、人口512人(2009年4月現在)となり、その70%が65歳以上という深刻な高齢化、過疎化の問題を抱えている。 弱い所に迫ってくる原発の魔の手。
自給自足的に生きる島でも、とくに田んぼを作ったおじいさんの話は興味深い。平萬次さんというおじいさんの祖父、亀次郎さんが生涯を掛けて作ったという田んぼ。高さ8メートルが2段ある切り立った石垣。その石垣の石は大きいものは人の背丈はある。5畝ぐらいの広さだろうか。田んぼがあれば、お米があれば、生きていける。こう言って田んぼを作ったそうだ。その孫である萬次おじいさんが現在でも耕作を続けている。2枚ある田んぼの下の段だけを現在は耕作している。監督の意図として未来に続くと言うことで、最後に種まきが写されているのだが、果たしてあと何年この田んぼに水がはられるのだろう。そのおじいさんが止めるとその田んぼは原生林に戻る。孫のお前がやればそれでいいのだと、そのように田んぼを作ったおじいさんが言ってくれていたと言う。父母がこのお米で生き。自分が育ち、自分の子供が、そして孫までもが育った。それで良い。田んぼを作った亀次郎おじいさんは字が書けなかったそうだ。和歌を詠む。その詠んだ和歌を萬次おじいさんがその石垣に刻んでいる。
映画の後、少し語り合いの席があった。食品の放射能汚染の話が出た。その中でもドイツの放射線防御協会の4ベクレルの基準の話が出た。放射能に対する意識は深刻化していることを感じた。様々な組織がリスクを唱える。いずれさしたる根拠も、確証もない。しかし、もっともらしくドイツとか、4ベクレルと出てくれば、全く不信用な日本政府よりは信じたくなる。私は、食品に関しては100ベクレル以下のものなら喜んでいただく。根拠はない。どうせ政府も根拠はないし、ドイツ放射線防御協会もない。しかし、どこかで決めなければ自分が安心できない、日々不安な気持ちで食べると言うことは、とても良くない。4ベクレルと決める人は決めればいい。たぶんそう決めたら、日本を離れる以外安心はないだろう。不安の中で生きると言うことはいいことではない。映画の上映した人が。福島では放射能で子供が死んでいる。参加者から子供たちが鼻血が止まらない。こういう発言があった。放射能と決めつけるのは、間違いである。福島から子供は出た方が良い、大変な状況だとは思う。しかし、この映画を前にしてこの発言は残念だった。
原生林に戻る悲しさ。自然と言うものと人間のかかわり。青が島がそうなのだが、島は江戸時代が人口が多い。自給自足で暮らす時に、島は暮らしやすい。すでに、島全体の耕作地が、原生林に覆われてきている。しかし又、必ず耕作が始まる時は来ると確信する。それは案外に近いのかもしれない。身の丈に合った暮らしを忘れていたかもしれないと、島の漁師のおじいさんが語っている。身の丈の暮らしに戻りたいと思う。そう思い始めている人は現れ始めている。この映画は本当のしかし普通の人間の暮らしを撮っている。30年反対運動と言う、とんでもない不運の中にありながら、自然とともに豊かな心を育んでいる人たち。どんな状況でも、活路を見出し頑張るというメッセージを感じた。