小田原市職員による不祥事の再発

   

昨日午後に小田原警察署から発表があり、先月発生した小田原市立病院の現金盗難事件に関し、高齢介護課職員(かつて病院管理局医事課に6年在籍)が逮捕されました。大きな、大きな衝撃です。
 市では、経済部農政課職員が贈収賄事件で3月に逮捕されたばかり。病院での手当過払い問題、消防の出張旅費問題など、不祥事が続いていた中での逮捕を極めて重く受け止め、全庁を挙げてコンプライアンスの徹底と一人ひとりの振り返りや組織単位での取り組みなど、コンプライアンス推進委員会や特命チームの立ち上げにより、考え得る不祥事再発防止のための取り組みは徹底して行ってきていた。
――以上は加藤市長のブログ冒頭である。

何故不祥事が起こるか。原因は明確である。職場の環境が悪いからである。やりがいのない職場に成っているからである。では何故小田原市の職場環境が悪いのか。市長が変わってまだ市役所の組織が安定した状況にならない。次の選挙で市長が変わるかも知らない。いやむしろ変えなければならない。こういう腹の幹部職員がいることを感じる。4期にわたる小澤市政の後遺症がある。もう一つは、公務員という立場がモンスター市民にさらされているということだ。公僕と言う名のもとに、何を言っても構わないような、市民意識が高まっている。これは理念の曖昧な市民協働の結果ではないか。小田原市は特にそうではないかと感じる。職員は本音と建前を使い分けるような、日常を強いられている。労働組合がないということも、その傾向に拍車をかけている。以前労働組合の必要性を職員自身の成長の為とブログに書いたところ、早速どこかの公労組の人から、労働組合の役割は待遇の改善だと、批判を頂いた。なるほど公務員の職場環境が実に悪い、四面楚歌である。

もう少し細かく分析すると、市長の交代によって、立場が変わった職員が沢山いる。前小澤市長派と呼ばれる職員は、重要な扱いを受けにくくなる。そして加藤派の新しい勢力が生まれてきて、軋轢が生じる。その中で、一般職員には表面だけの仕事をこなせばいいという、消極的な無難な処世術が蔓延する。ありがちな本音を見せない勤務態度になる。本音を見せると損をする職場。きれいごとの職場。これは加藤市長本人の弱点でもある。理想論は述べるが、現実の泥をかぶろうとしない傾向がある。ドジョウになれない弱点。こういう体質が職員一般に伝染していないか。建前では不祥事再発防止を強く述べてはいる。又きれいごとを言っている位に受け止められる。事なかれで行こうとしている職員の所へ、モンスター市民が登場する。私もその一人と言われているらしいが。放射能問題ではどうなっているのかというような、怠慢や矛盾に満ちている。これは国の判断の遅れ、県の怠慢。その結果を市役所は一手に受けている。教師が言われやすいのと同じことだ。公務員と言う権力者の宿命。

加藤市長は一辺に大改革をするのではなく、そつなくやろうとした。それが通用しないという現実だろう。やりがいのない職場。頑張るとまずい職場。本気になると損をする職場。こんな風になっていると考えた方が良い。ともかく仕事量が多い。市の職員は本気になればきりのない仕事だ。休み返上、寝る間を惜しんで働いている人もいる。いい加減にしておけば適当で、サボりでも済む。要領よく適当な方が喜ばれたりする職場。そこに最近提案されているのが、市民と行政の協働。市民の役割は繰り返し言われており、簡単に言えば市民がボランティアで頑張って下さいと言う話である。ところが、行政は何を受け持ち何を行うかである。これが全く議論もされなければ、行政の職員からの発言もない。避けているように見受けられる。その為に、いよいよ労働過重になる職員と、関係ないとしている職員とに分かれる。そして、協働しようという市民にはますます不満が募る。

分かりやすい職場にすることだ。やる気の出る職場に変えることだ。仕事量も減らした方が良い。良い職場になれば悪いことをする人はいなくなる。コンプライアンス推進委員会と言うのがどういうものだかわからないが、規律を高めるとか、相互監視を行うとか。こういう方向に進めば、さらに悪い雰囲気になるばかりだ。密告者のいる社会が最悪の社会である。互いを支え合うような職場。市の事業の状態が、完結を見ないことが多い。市民の参加と言うので、様々な検討委員会が出来たが、その成果が実現されたかと言えば危うい。抽選で市民を集めて、話し合いをしたが、その成果はどうなったか。今回も、小田原電力が提案され、勉強会がもたれたが、話の進め方が全く見えない。今後に繋がる継続的提案ぐらいするべきだ。形だけではだめだ。小さくても良いから、具体的に変えて行かなくては。ともかく現状暗い。これは節電のせいかもしれないが。明るく行こう。

 - Peace Cafe