サツマイモなら安納芋

   

迷っている。安納芋の種イモはある。これほどうまいサツマイモはない。問題は作りにくいところだ。作りにくくてもできるなら、問題ないが。私には今のところ出来ない。多分関東地方では他の人にも出来ない。先日、あるところで、安納芋を自分で育てたという壺焼きイモを食べた。ごく普通の美味しい壺焼きイモであった。美味しいことは美味しいが、私でもできるレベルである。種子島の安納芋はとびきりなのだ。「四谷十三里屋」の安納黄金という話を、剣道の強い漫才師のはんにゃの金田さんが書いている。この味が土壌なのだと思う。サツマイモは土壌の影響が強い作物だと思う。鳴門金時ということは昔から言われる。いぜん、鳴門金時がダントツ美味しいので、これから苗をとって作ったことがある。全く平凡な味になってしまった。同じ経験は大豆でもある。丹波黒豆が美味しいというので、作っては見たが大したことはなかった。

金時イモが種として美味しいのではなく、どこの何さんが鳴門で作った芋が美味しいのだ。美味しいはなかなか難しい。そこで安納芋だ、懲りずに種子島から取り寄せ、苗を作り、育てて見た。やはり大したことはない。あんなに美味しかった安納芋の密姫が、そん所そこらのサツマの足軽イモに成ってしまった。土が違う。土が良すぎるのだ。その昔、金沢で焼き芋屋をやった時、内灘農協のさつまがうまいというので、大成功したことがある。内灘というのは、金沢から日本海にまっすぐ出たところだ。その昔、米軍の射撃場訓練場があって、内灘闘争があった。五木寛之の「内灘婦人」はそういう背景の話だったがもう内容は忘れた。内灘砂丘が舞台に成っていた記憶がわずかある。話が遠回りしたが、砂地がサツマイモに良いというので、内灘の砂地のさつま畑を見に行ったことがある。大野町や内灘は砂地の上に町があるようだった。そう言えば大野には、大きな醤油屋があったが、大豆の産地でもあったのだろうか。

関東の土壌でも薩摩芋は出来ることは出来るが、出来過ぎておいしくない。という気がしている。ところが、松本さんによると「べにまさり」は良くできる上に美味しいというのだ。これでまた迷いが出た。もう一回安納芋を作るか、べにまさりを作るか。それが問題だ。まだ迷っている。べにまさりが美味しいのは比較的関東の気候と土壌に合っているのだろうか。松本さんの畑と技術にあっているのか。サツマイモは青木昆陽さんが、関東に持ち込んだらしい。どうしても南のものだ。南と言えば、戦時中小田原には、弟時まででサツマイモを軍の為に作った、宮川さんが居る。宮川さんは戦争では水兵で、父島に赴任したそうだ。父島での戦闘は米潜水艦での、食料の遮断。弟島に渡り、さつまいも畑の開墾と苗作り。戦争に行って、農業技術の工夫に挑戦。涼しい川のほとりの半日陰での、苗作りの工夫と成功。やっと大量のサツマが栽培できたが、それを食べる間もなく敗戦に成ったそうだ。

暑い中で作るのはまた別の難しさがあると言われていた。やはり、安納芋とべにまさりの両方を作るしかないだろう。そしてこの秋こそ、気に入った方をまた作ろう。何故これほどサツマイモにこだわるかと言えば、タンドリー釜の壺焼き芋が格別なのだ。またあの味を食べたいと思うと、サツマイモを作りたくなる。こういう農家には出来ない、余分なことが出来るのが自給農業の楽しみである。

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