一括交付金

   

「一括交付金」は民主党のマニュフェストで強調され、鳩山内閣でやることが決まった。その時の責任者が今の管氏なのだから、当然、管内閣も強力に進めるはずである。そもそも地域主権ということは、地方分権改革推進法に基づき進められていることで、法律的にはすでに既定の事実である。住民に最も身近な基礎的自治体を重視した分権を推進し、基礎自治体の能力・規模に応じた権限と財源の移譲、国と地方の二重行政の解消により、地域主権を推進していくこと、としている。地方分権が財政の権限移譲に基づくことは当然のことである。これは、大きく言えば、国の各省庁の権限や規模を縮小して行くことである。予測通りであるが、官僚の抵抗が起こっている。「小田原市に一定のお金を渡し、道路でも学校でも病院でもこのお金の範囲で、何にでも自由に作ってください。」「でも、こんなことをして大丈夫なんですか。」と言っている訳だ。

11年度予算の概算要求に盛り込まれた公共事業目的などの投資的補助金3.3兆円のうち、各府省が「一括交付金への転換が可能」と報告したのは、全体の0.1%以下の28億円にとどまった。投資的補助金とは、建設などの補助金で、すべてを地方に移譲することになっていたものである。官僚は総論では反対が出来ないが、各論では99,9%否だと言っている。ここで、注目しなければいけないことがある。今まで何もやろうともしなかった管内閣が、法律に基づいて行う、11年度の予算に一括交付金を乗せられるかである。片山総務大臣はその為に、その能力と考え方から、民間から起用された。その是非はともかく、管氏がどれだけの人物なのかのリトマス試験紙。どうもうすら笑いを浮かべながら、何も手を打てないで終わる気がしてならないのだ。これはすでに法律で決まっている国内の問題だ。官僚との力比べのようなものだ。批判勢力時代の管氏はパフォーマンス上手だったとされている。本当はどうなのかが今わかる。

地方の方も、何やらあまり自信が無いのか、そんなには喜んでいなようだ。たとえば下水道の補助金の地方への移管。都市部で下水道を作っていた時代の国の基準で、地方への補助金を決めて行けば、地方によってはおかしなことが起こるのは当然のことである。下水道など初めから、地方に任された財源の中で、細やかに対応した方がいい。そのようなことは保育園、道路、あらゆる分野に及ぶだろう。所がこうした投資的補助金はすべて地方に移管するはずが、99,9%不可能だ、が官僚の現実の壁。地方の方では、一括交付金で来るのは良いが、その額が心配なのだろう。今までより、減らされると考えている。自由に使えるなら、40%あれば同じ仕事が出来る。と発言していた知事もいたのにどうなっているのだろう。ともかく国も地方も税収不足である。

地方への一括交付と言えば、法の考え方から言えば、住民に最も身近な基礎的自治体小田原市である。ところが、どうも神奈川県のようだ。この辺はどうなるのか良く分からないが、神奈川県分は幾らと、国が決めてくれて、県は各市町村にどう分けるになるのであろうか。国が各市町村に額を決めるしかないない。しかし、一体どんな基準になるのか、人口、面積、実績、何かしら基準が無ければ、もめて仕方が無い。各市町村の取り合いになる。こういうところに政治屋が介入して、汚職の温床になる恐れがある。共産党は福祉の切り捨てになる。消費税導入につながる。いつもの主張だが、投資的補助の問題なのだから論点自体をすり替えている。消費税は必要と考えている。地方への一括交付は必要なこと。地方の行政が地域に暮らす者にとって、身近であり最高の存在。地方議会の審査研究能力の向上。市民の地域社会への参加者意識の高まり。すべてはここからである。

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