小田原城址の伐採問題
以下長文になりますが。加藤市長のブログからそのまま転記します。と同時に「小田原市議会を考える市民の会」のホームページをリンクします。小田原の市会議員の興味深いアンケート結果があります。
私からの説明の骨子は大きく3点。まず、これまで放置状態であったお城の緑については、なんといっても史跡小田原城跡が小田原の魅力の核であることから、史跡としての価値の最大化を基本にこれまで整備構想が練られてきた経過を踏まえ、植栽管理についてもその視点をベースに考えてゆくこと。第2に、史跡であると共に、市民にとっては街なかの貴重な緑地帯であり憩いの空間であることは事実である以上、貴重な緑との共存を目指し、植栽管理の具体的な運用については、専門部会等に市民の代表にも参画して頂き、史跡としての空間整備と、緑との共存を目指していくこと。第3に、直近に予定されている御用米曲輪の整備については、史跡の保全・復元を行う際に、巨樹となっているクスノキなどとの共存を可能な限り目指すべく、その計画策定段階においてしっかり努力をすること、またこれについては、史跡と緑地の共存を図る整備の方法について、文化庁などとも相談をしてゆきたいと考えていること。
いずれにしても、このテーマについては、正面からしっかりと向き合い、必要な議論とプロセスを踏んで、後世に素晴らしい城址空間を残すべく、力を尽くすつもりです。――――引用終わり。
なぜ、市長の発言を改めてここに掲載させていただくかと言えば、ブログでの発言がとても重いということである。また、市長としてのこの発言を評価するからである。そして、今後の成り行きを見たいからである。阿久根市長がブログから始まった形で、市議会というもののあり方の変更を、強く提起している。地方の時代とか、地方自治とか言われるが、小田原市議会がそれにふさわしい形に育っているとは、残念ながら言えない。小田原では市会議員の賛否の公表すら、実現されていない。誰がどの議決に賛成したのか反対したのかが、分からないほうがいいと考えている。その理由は、明確に示されていないの出不明確ではある。同じ反対でもその理由は様々であるとか。一部賛成で一部反対であるとか。結論の賛否だけが市民に伝わるのでは、誤解を生むということらしい。
お城の樹木が切られる。江戸時代にはお城には木が無かったということが根拠である。国の史跡に指定されている場所であるから、それに相応しいお城に復元して行くという大きな方向がある。これは随分前に出た方針である。それに従って、橋が無くなったり、大きな松が切られたり、すでに動き出している。その時にも問題化したが、結局は木を切る方向で進んだ。その時、市民の意思は十分確認されたのであろうか。どういう手法で市民の意思は集められたのだろうか。小田原の市議会はこの問題では、どのように結論を出したのだろう。当然切るということだったのだろう。一体だれが賛成して切ることになったのだろう。これが分からないようになっているのが、市議会である。市民ホールの問題でもそうであった。市議会のチェック機能は、今までのところ働いていない。そう考えるしかない。
このまま地方の時代になるのでは実に危うい。行政が従来の方針通り、木を切るというのは当然の行為である。いよいよ切る段になって問題化するのは、ここに市民協働もなく、議会の広報機能も働いていないからであろう。これはわかりやすい、小田原城址の樹木の伐採だから、まだいい。火葬場の広域化。移転、あるいは改築。など住民説明会すら開かれないまま、市長によると、充分の説明が行われたので、進めるということになっている。これは、広域ごみ処理場のことでも同様である。こちらは説明会はあったが、質問に対する説明は、意味不明で、特に財政的な試算すらない説明会であった。いずれにしろ、市民に影響するのは、結論の賛否だけである。あらゆる事象が賛否に明確に分かれる訳が無いのは当たり前のことである。その中で、議会制民主主義は賛否という形で、意思を表明し、運用される。十全でないのは当たり前のことだ。