田中一村の「アダン」

   

いま、小田原では映画祭が開催されている。確か四回目だと思う。と言っても映画を見るということもめったになく、この映画祭も見たことはなかった。昨日は、たまたまコロナの湯にお風呂に入りに行った。六時過ぎである。入口でギャラリー新九郎のご主人とお会いした。やあお久しぶりですね、ということで、「今日は映画ですか。」「いえ、コロナの湯に来たのです。」何か怪訝な顔をされた。「小田原映画祭をやっていましてね。一村を今からやるんですよ。」という話である。と言われても今日は久しぶりのコロナの湯を楽しみに来たのである。「お風呂なんです。」とぼそぼそいい訳をして、入りかかった。一村という言葉も聞き逃した。風呂屋の入り口まで来て、良く良く考えて見ると、「田中一村」の映画か、そういえば水彩画もどきを描く榎木とかいう俳優ではなかったか。確かにあった。あれを今からやるというのか。何か廻りあわせを感じて戻って改めて聞いてみると、ちょうど始まるところだという。

「アダン」という映画だそうだ。これでは何のことやらわからない。私が悪い訳ではない。これを作った人は田中一村の絵画を表現したいというより、この人の不思議な生涯に興味を持ったのだろう。しばらく前から、田中一村の妙な絵は結構知る人そ知る存在なんだが。はっきり言えば田中一村の描いたものを、私としては絵画作品としては評価していない。しかし、田中一村的生き方にはかなり興味がある。一村の絵は絵画というものの領域を考えるときに、測定するバロメーターである。絵とするか絵としないかは、ある意味リトマス試験紙。その生き方が、とても独特であるというので、ある種の脚光を浴びている。脚光を浴びるだけの作品であるのは確かである。個人的に考えている芸術としての絵画とはなにか、というようなややこしいこととは別なことである。異反の画家が同時代にに存在したという妙な衝撃がある。私が銀座で繰り返し個展をやっていた時代に、奄美大島であんな風変わりな絵を描いていた、狂気の人がいた。これは少し厭な汗が出るようなことだ。

監督五十嵐匠氏がお見えになり、お話があった。映画監督という存在を生で見たのは初めてのことであった。田中一村より、この監督の方に興味が出てきた。何故こういう創作家の映画を撮るのだろうか。相当の力量の監督である。板谷破山、金子みすず、棟方志功と撮っている。固定化された伝統世界、を打ち破る狂気に興味があるようだ。この監督は映画というものを熟知している。映像で伝えるということの手法を、高いレベルで把握している。この映像的な伝達手法が、田中一村の絵画の世界観に触れたのではないだろうか。田中一村の作品は、いわば写真とかデザインなのである。生命を伝えるという時に、ものに宿る生命を画面に表現する。これはデザインであって、絵画ではない。デザインを低く見るというような、くだらない仕分けではなく。絵画の意味は自己表現なのだ。自分の中にあるものをどう出すかにある。あくまで対象は借りものである。対象の命を再現したところで、自らの命のあり方は表現できない。もちろんこれは私の狭い考えである。

この映画は榎木孝明氏自身が五十嵐監督にやりたいと申し出たらしい。通づるところはありそうだ。榎木氏の演技は真迫的リアル。革新的である。すざましい熱演である。一村の未知を切り開く、姿勢につながる。しかし一村の場合その背景にある、執念を燃やしたものが、すでに陳腐化している日本画の画壇的世界である。生涯をかけて対抗するような、意味のあるものではない。そもそも認められたい思いが病的に煮詰まり、拒絶に向かう。絵画とは何か、自分とは何者か。分かりにくい捉えにくいことである。そこで、ついつい、分かりやすいリアルによりかかりたくなる。技術というもので、評価されたくなってしまう。榎本氏のリアルな演技というものには、衝撃を受けるが、やはり演技というのも演技であってほしいけど、などと勝手なことを思った。

 - 水彩画