絵を描くわたしというモノ
「私」というモノは一義的に、物質である。屋根から落せば、落下する。石ころや瓦だ。モノとしての私は、60年使われた中古工作物で、せいぜい20年丁寧に使えば、使える精密機械である。その次に、「私」は生物である。木や草、犬や猫と同じ、生き物である。命のある物体である。生きていると言う事は、自ら活動している物体である。これは動くと言う事で、動物であり、動く事でつじつまのあうものだ。その先が問題の「私」で、人間である。この人間というものがなかなか厄介なものである。いつまでもよく分からない「私」である。人間という生き物は、生れてきた事や死んでゆく事を考える。と道元禅師は言う。確かに、死んだ先を考えると、随分恐かった。最近は、死んだら何もないというように理解するようになった。それほど恐くはなくなった。あと20年と言う時間が、どのくらいのものかは、今までの60年の経験でよく解るが、多分あっという間の20年であろう。
父は、年をとるとぼけてきて、死ぬ事が平気になるんだ。と教えてくれて死んだ。母は、大怪我をして、意識不明で入院した。それで、こうやって死ぬんなら、死ぬと言う事はなんでもないもんだ。言い残してくれた後死んだ。いずれも、私の両親はわたしの死に対する不安を良く知っていて、自分の命をかけた本当の事を言い残してくれたのだと思う。そのおかげで、その後わたしなりに安心した。年々、ボケてきたのか、若い頃ほど死ぬ事を、深刻に感じる事もなくなった。例えば、以前は以前と言っても、中学生の頃は、絵を描くと言う事を、生きた証を残すというような、思いがいくらか混ざっていた。孫悟空の天の果ての立ちション弁である。それは大体なくなってくるものだ。とすると、いまやっているのは、どうも生物としての私が強まっているようだ。人間として「私」と改めて考える時の思考は、精神とか何か並の生き物を越えた存在のようなものを期待する。
絵を描くと言う事は、自分というものがどんなモノかを、探っているようなものだ。それは大それた自分と言うようなモノを、自分を他者に誇示しようと言うようなものでもなく、ただ、ごく当たり前の生きているモノとしての自分が何なのかと言う、物心付いて以来の疑問を、考え続けているようなものだ。この考えていると言う状態は、実は畑をやっているとか、田んぼをやっている。ひたすら働いている。身体を動かしている。と言うような事である。道元が只管打座と言う時の作務が農作業に近い。自分に関する疑問は解けるというか、明らめることがあるのか。解脱があるのか今の所、不明であるが、ともかく絵を描くといいながら、畑をやっていると言う事はそう言う事だ。何かわかりにくいのだが、「畑を耕していることと、絵を描いていると言う事は、一続きである。」
何故その色で無ければならないのか。その線でなければ、その形でなければ、ならないのか。その決めているのが自分であるのか。全てを突き詰めれば、その時の勢いのようなものと、気分とか、反応とか、感性とか、訳の分かりにくいもので固めてある。こういうあいまいな物に頼りがちだから、いつまでも明らかにならない。それで、ただ畑を耕す。畑はそれなりに耕作される。消えてゆくものであるが、絵と変わらない形が、地面に描かれてゆく。こちらは、正しいか、間違いか、がはっきりとしている。正解に気が付かないのは、自分の能力不足だけだ。その色でその線でなければならない、そう言う事は畑では、明確に存在する場合と、どうでも良い場合がある。そしてそういう人間の行為という物は、自然と折り合いをつけて、ある美しさを表わす。どの折り合いが美しいのか。自然の中に自分というモノをゆだねて、耕作する。これはとてもいい時間である。