生ごみ堆肥化検討委員
小田原市生ごみ堆肥化検討委員に選考された。小田原市では加藤新市長の新しい手法として、様々な市が抱えている課題に対し、市民を含めた委員会で検討を進める手法がとられている。1、行財政改革検討委員会 2、小田原駅・小田原城周辺まちづくり検討委員会 3、地域医療体制の整備に係る懇談会 4、地域コミュニティ検討委員会 5、ケアタウン構想検討委員会 と既に活動が始まっている。さらに生ごみ堆肥化検討委員会が作られる。多分どこの市町村においても、こうした検討委員会のようなものはあるのだろうが、あえて、広く市民の参加を求めて、課題を市民共通のものにして行こうと言う点が、新しい視点だと思う。先日、財政についての検討委員の方々から、検討内容と途中経過を聞かせていただく、集まりに出させていただいた。検討の視点が専門的なことに、ビックリした。つまり、市民の中にはかなりの専門家が存在していると言う事。
それはどの分野でも同様であろう。こうした役割は本来なら市会議員が担うべき仕事であろう。ところが、あれだけのレベルで財政を検討できる市会議員はがいるとは、失礼ながら、思えない。市会議員のなかに一人二人には存在するかもしれないが、企業会計レベルの知識を深く持ち合わせる、専門家が多数居るとは思えない。では、生ごみの堆肥化についていえば、深い知識を持っている人は、やはり、2,3人に限られるだろう。城下町ホールの問題でも、検討委員会で話されたようなことが、充分に市議会で話し合ってもらいたかった。市議会では全く、問題点を見逃したまま、着工となった。ここまで来て、これはひどすぎると言う、市民の反対署名が集まり、やっとストップをかける事が出来た。この間、市議会議員はこの問題でどういう考えを持っていたのであろう。どうも、市議会と行政が、充分の議論をする体制になっていないように思う。議会改革も急務である。何しろ、自分達の議会での投票行動を、明らかするという、当然の義務ともいえることすら、避けたい人が多数なのだ。
そこで、市民検討委員会が出てきたのだと思う。以前もなかった訳ではないが、一般市民が公募で広く参加してゆくようにはなっていなかった。「生ごみの堆肥化」はまさに、市民が当事者の課題だ。ごみを減少させる、最大のテーマである。山北の山の中に暮し始めて以来の課題でもある。自然養鶏を始めた動機のひとつでもある。循環型社会の構築。暮らしの見直し。正直、ごみの分別など面倒なことである。何でもまとめて、一袋に入れて捨ててしまえるなら、楽なことだ。実はそれでも良いが、それなら、費用が数倍になる。どこかで、誰かが、何かをしない限り、終わらない。ごみはただ燃やせばいいでは、すまなくなっている。能登の道路のない集落に1ヶ月居たことがある。海がビニールのごみで大変な汚染だった。その集落では、昔から、ごみは海に流していた。それできれいに消えていた。
人間が作り出すごみの内容が変わった。水に流せば、水を汚染して人間が使えなくなる。ただ燃やせば、環境を破壊する。ごみに手間暇をかけなければ、循環しなくなったのだ。根本は製造者責任がある。ごみになった時困るようなものを作らせるべきでない。作ったものに自ら責任を持たせれば、処理できないような物は作らない。今はその問題を一先ず置いて、生ごみの堆肥化である。先ず出口を塞ぐ。燃やせない状況を作らない限り、生ごみの堆肥化は出来ない。いくらでも燃やせば良いとか、どちらかと言えばごみは沢山あるほうがいいという状況の中で、堆肥化は不可能である。堆肥化は手間暇がかかる。お金はかからないが、ともかく面倒くさい。間違いなく暮らしの負担になる。堆肥化だけを別枠として問題にしても、解決不可能なことである。この機会に大いに勉強して、何としても小田原のごみが減少できるようにしたい。
昨日の自給作業:稲の補植3時間 累計時間:31時間