水彩人の作品
水彩人の作品の制作をしている。20日までに絵葉書用の作品、月末までには画集用の作品を、完成させなければならない。今のペースでは難しいかもしれない。不安がある。絵を描けるのはせいぜい一日2時間ぐらいだ。身体と頭と、精神が余裕たっぷりの状態でないと絵は描けない。描いた所で作業になってしまう。描きたい気持ちと、書きたい内容が、充満してきて絵は描ける。それ以外のときに描けば、それまでの仕事を台無しにするのが判っている。あせったとこで、後戻りしていたのでは、却って絵にならない。大きなものを描いている。M150号を3枚と、300号になるのかM150を二枚併せた物が1枚。もちろん、何ヶ月も前から進めてはいた。進めるのはほとんどが頭の中の事だ。ほとんど出来てから、紙を床に広げて描いていた。先日いよいよ5枚のパネルに張り込んだ。それからが制作の佳境に入ている。
描いている紙はモンベルキャンソンのロール紙。紙巾が広い。普通にM150まで張れる。M型で大きな絵を描いてみたいと言う事は、去年から決まっていた。絵のおおよその構想も出来ていた。そこからが、やはり大きな絵と言うのは準備が面倒くさい。紙を選択するまでも、手間取った。いつも描いていない紙だから、嫌だなと思いながらだから、時間がかかる。やっと諦めが付いて、注文して送ってもらった。同時に、用心にもう一種ロール紙を注文して送ってもらった。描き出してから、アレコレがあるのが耐えられない。送ってもらうのは、神田のミューズ社だ。梱包も丁寧だし。確実である。1本10メートルのロールから、4枚は取れる。それがいつもいい加減だから、4枚目がとれなかった。しかし、好きな所で切るわけだから仕方がない。紙を広げた時のイメージや、気分を重視する。好きに切って広げて、床に広げて描き始める。描きなおすとか、下書きとかはないから、それで嫌になって終わりと言う事もある。
いよいよ描き出すと言う事になれば、イメージが定着し、広がっている状態だから、第一回目が終われば方向性は定まる。大抵は、2回目。3回目。と段階的にやるべきことに違いがある。その回数は画面の大きさによって、そう変わるものでもないが、さすがに150号に成ると、1回の描きでがあって時間が掛かる。大きい方では150が一番良く描くサイズだ。水彩連盟の上限サイズのためこうなったのだろう。時に大きいのが描きたくなる。大きくないと表現できない物もある。さらに大きいと成ると、どうせ水彩紙がないから、このサイズのパネルを合わせている。今まで最大は4枚合わせだ。襖を描くと思えば、そんなものかもしれない。おおよそ出来てきたら、パネルに張るが、パネルはいつもは自分で作るが、今回は面倒になって購入した。5枚で13万何千円かした。これも送ってもらった。高いようだけれど、自分で作るとしても材料費だけで、大変なものだし。手間を考えればこれでもかなり安いほうだ。パネルに張り込んで第3段階が始まる。今のところそこまで来たところだ。
命と言う事を描いている、つもりだ。農の会の若い家族3軒で相次いで赤ちゃんが産まれた。とても幸せなことである。このことを絵にしたいと思っている。当然具体的に赤ちゃんを描いているわけではない。その新しい命と言う世界を描いている。3人が3人とも、農の会らしく自宅出産だった。健康な赤ちゃんがすくすく成長している。継続。命は継続してゆく。未来に開いている。個々の命はあっけなく終わるが、次から次と繋がって行く世界がある。私の父や母の思いは私の中に充満している。農の会の赤ちゃんは私のとって、孫の世代になる。舟原のおじいちゃんとして、やれることをやらしてもらいたいと思っている。農の会教育基金でも設立しようかな。