洋蘭栽培

   

植物の事に興味を深めたのは洋ランの栽培が始まりだった。東京三軒茶屋世田谷通りに面した、ビルのベランダでの事だ。全く自然から隔離させたような、生活をしていた。そこで10年ほど暮した。それこそ絵ばかり描いていた。絵を描くといっても、いわゆる「作り絵」で頭の中のぐるぐるめぐりを描いていた。唯一の自然との接点が、洋ランの栽培だった。蘭友会というラン栽培の趣味の会に入れてもらった。多分、7,8年は入っていたと思うが、毎月代々木であった定例会に出ていた。これは絶対に、出ていた。何故というと、咲かせた花を12ヶ月。連続出品すると、表彰されたからだ。後半は毎月持ってゆける花があったので、何があっても休みにする気になれなかった。そんな毎回出品の常連が、30人近く居たと思う。毎月200人ぐらいは集まっていたので、趣味の会で、あんなに盛り上がっていた集まりは、空前絶後だろう。少なくても前代未聞。

何であんなに蘭に曳きつけられたのか。不思議なくらいだが、蘭科植物は奥が深い。植物進化の一つの極にある。特定の限定的自然環境に、適合して進化を続けたものなのだ。ある昆虫の生態に併せて、自分の形態を変化させ、その昆虫に運命を託して進化した不可思議。その種子の発芽には、特定のその植物の根周辺に暮す微生物が産み出す酵素がかかわる。何とも絶妙、微妙な植物だ。そのため、生育環境は熱帯の高山地域のような、変化の少ない、特定な環境に多い。もちろん日本にも多数存在するが、環境変化に大きな影響を受け、高山のお花畑のような所に多く残っている。子供の頃は身近にあったエビネやシュンランやセッコクも蘭科植物だが、今はこの周辺では見た事がない。

その特殊な栽培法に、はまった。だからラン栽培には名人が居る。名人は趣味の人で、商売人にはそこまでの人が居ないというのが又面白い。だから、名人が蘭以上に面白かったのだ。名人の薀蓄が、奥が深い。「気を好んで、風を嫌う」「一山一花」等と言う。しかも、バイオ技術クローン増殖までが栽培法にあり、こうしたことまで趣味から入り込む人も居る。お訪ねすると、無菌箱や顕微鏡があったりする。私も一時のめり込んだ。ラン栽培の適地を求めたことも、転居の大きな理由だった。ラン科植物の自然栽培を目指そうとした。洋ランは薬漬けと言ってもいい状態で栽培されている。年がら年中植え替えている。これを無肥料無農薬。植え替え無しの水遣りなし。これで栽培したいと考えたのだ。

今我が家で生き残っているランはその末裔だ。昨年はついに無加温であった。それでもまだ生きている。30年ぐらい我が家で生きてきた蘭だ。もうわずかな数になってしまったが、何しろ20年水遣りをしたことが無く。生きていると言う事が、信じてもらえるだろうか。多分、蘭友会の誰一人、信じないことだろう。無肥料無農薬等、理屈での発言はあるが、本当に洋ランでやって見た人など、世界でも少ないだろう。ここには栽培室をランの自然環境に近づける工夫をした。水遣りの代わりは、井戸水をミストで、時間ごとに噴霧し霧の高山のような状態にしてある。しかし、ラン栽培の為に山中に移住までしたのに、ラン栽培への興味は急速に減じたのだ。山で暮せば、登山に行かなくなるようなものだ。自然を神秘に満ちていた。自然の中で、人間は生きられるのか。「自給自足」の方に興味が移行した。絵の方も、いつの間にか「作り絵」を描かないようになっていた。

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