電力不正総点検で報告
出るは出るは、12社で300項目、数千件に登るらしい。一体どうなっているのだろう。原発ですらこんな状態なのだから、今の日本の社会が、分からなければかまいやしないという事になっていると、考えておいたほうが良い。トリインフルエンザの感染を知りながら、報告しなかったと言う事で、愛鶏園の会長に有罪判決が出た。感染の事実を隠したと言う事になっているが、実態は不法にワクチンを使ったのではないか。と言うほうの捜査が空振りに終わった。と言う事なのだろう。本来罪が重いのは、鳥インフルエンザの事実を確認した国の衛生研の職員だ。生き物も病気をする。機械は壊れる。こんな事は当たり前の事で、病気をした時どうする。壊れた時にはどう対応する。これを健全なうちから準備するのが、当然で、必要な事だ。
だから、機械が壊れたり、鶏が病気をしたら、報告をしなければならない。この当然の事を怠る理由が問題だろう。表向きは、バレテ止められたら、経営的な損失が大きい。裏では大衆は無知だから。誤情報に煽動され、風評被害が起こるに違いない。こう思い込んでいる。確かに、日本の報道と言うのは、申し訳ないが、レベルが低い。子供の頃、近所の家事が新聞に出た。大工さんの家なのに、材木屋の火事で、よく燃えたように書いてあった。それのほうがおもしろいが、なるほどここに書いてある他の記事もこのレベルかと思って読むようになった。原発のような専門外の事は解らないが、鳥インフルエンザでは、報道はどう考えたらよいか、見えていない。つまり、報道が本来持っていなければならない、一番根幹の批判精神というものを確立していないのだろう。
NHK問題が最たるものだ。国営放送ではないといいながら、政府の干渉を受けて放送内容を変更し、有罪になっている。放送内容を大きく変えた事は認めながらも、政府の干渉のほうは、ごまかしている。そうやって、政府に気に入られて、経営を安定しなければならないと考えているようだ。こんな報道に批判精神が在り得るだろうか。他の大報道はそれでも、端からそれぞれの方向に偏向している事を半分認めたようなものだから、いいとしても、NHKは全く違う。公正中立の公共放送を自認している。ここが問題だ。間違えない者はいない。間違いながら、本質を探ってゆく。機械、病気、報道、どれもこれも、失敗の生かし方を研究していない。農業では、失敗こそ一番の教材だ。失敗をどう見つめるかで、能力が高まる。どんな名人も失敗する。しかし、失敗しながらもそれなりの対応力の幅が、工夫がすごい。
原発は事故が無いという前提で出来ているものだ。事故があまりに深刻だから、そう言う他無い。人類を死滅させる可能性すら、持っているものだ。だから事故隠しに進む。にもかかわらず、実際の作業員はバケツで何やらをかき回して、大事故に成って亡くなられた。作業の危険な内容が伝えられていなかった。慣れというか、原発の怖さがどこかに行っている。人間はそういうものだから、原発は止めるべきなのだ。愚かで、すぐ間違いをするのが、人間なのだから、取り返しが付かないような機械は、元来無理なのだ。どんな機械でも、故障を修正しながら、より完全な機械に向けて、改善できる。ところが、どうも原発と言うものは、最初に実験室で出来たものを、ただドデカクしただけで、安全性を高めることは出来ない性質だと、原発建設の専門家から聞いた事がある。