めだかサミット
神奈川メダカサミットが開催された。兵庫県豊岡市での取り組みを聞かせていただけるのが楽しみだった。ここでも、冬水田んぼがキーワードだ。先日の宮城の岩渕氏のネパールのお話も「冬水田んぼ」だった。いつかあしがら地域でも、冬水田んぼが広がる時代が必ず来ると思う。そのときを目指して、少しづつ、変えてゆくのが私たちの役割だと思っている。冬水田んぼが何故、そんなに大切か。宇根豊さんが、充分語られた。各地で起きはじめている、環境支払いの実情。地域で暮してゆく上での、農業の具体的な役割が、その輪郭を現し始めている。食料と言う暮らしの一番の基本になるものは、実は人間の心の奥底を形成している。お米を造ると言う事が日本人を作ってきた。これはよく言われるが。この伝統的稲作が何を意味していたのかが、失われながら見えてきたのだと思う。
日本の田んぼをラムサール条約に加盟を、こういう運動がある。それくらい干潟と言うものが失われた。干潟は生き物の宝庫だ。全ての生き物に暮らし易い、海と陸のせめぎ合う地点。当然人間は干潟を占領し、日本の干潟は、人間が埋め尽くした。わずかに残る中には蕪栗沼のように、周辺の田んぼまで含みこんでいるところがある。冬水田んぼだ。湿地、や干潟がなくなった変わりを、冬水田んぼが担い始めている。失われた水辺を、冬水田んぼによって取り戻せる。田んぼの役割が、食糧生産だけでない。食糧生産主眼であれば、冬は裏作をするべきだ。裏作をしている田んぼは、あしがら地域では、めったに無い。面積で言えば、1%に満たないだろう。それなら、そこに水を貯めて生き物が戻ってくるようにしたらどうだろう。
西村いつき氏兵庫県の農業改良普及員の方。3人のお母さんだそうだ。子供の未来に何が残せるか。そうした熱い思いが、豊岡の「コウノトリを育む農法」を作り出す。お名前を見ると、全国の先進的な無農薬、自然農法の方々が協力して、一つの農法を集大成している。現在200ヘクタールに広がり、400ヘクタールを目指しているそうだ。コウノトリが空に羽ばたく地域になるには、それだけの冬水田んぼが必要。この冬水田んぼがの広がりは、環境保全に止まらず、地域の経済的活性の起爆剤になってきているそうだ。コウノトリが住めないような環境で人は育つことが出来るのか。コウノトリ「でも」住める地域にしよう。こんな希望が、豊岡で現実になっていることが感じられた。
農業が作り出してきた、地域と言う、重い逃げ出したくなる空気もある。同時に、人間の豊かな感性を生み出してきた物でもあった。「美しい」が共通項でなくなってきて、総理大臣が標語のように、唱えだした。観念としての美しいは危険なものだ。絵を描いていればすぐ分かる。美しいは価値基準にならない。大きく変わってきている人の暮らしが、当然、鶏の鳴き声を騒音と感じるようになった。かえるの声も、騒音になりつつある。虫の声も味わえる、人であって欲しい。人間らしい感性が、失われつつある中で、地域の中に残された、田んぼの役割は、実は大きくなってきている。宇根さんが言われていたが、作られた自動車は100万で売られる。しかし、その自動車が走るためには100万円の税金が必要だ。田んぼでは同じ労働で、3万円のお米しか作れない。しかし、その田んぼは本来ダムや、湿地や、冷房の機械、が担うべき35万円の税を節減している。更に、風景までも提供している。