「石垣島」おもてなしの観光

倉庫が作られている。余り進まないので困るのだが、それでも徐々に形が見えてきた。早くできなければ、籾すりも出来ないし、色々困ることが出てくる。この調子では11月後半になりそうだ。まったくあきれてしまうほどマンマンディーである。
石垣島の未来は観光業にある。それは農業も観光に結びついて始めて成立することになる。今のところ、観光と言えば、大きな道路を作る。何か他にないような施設を作る。いわゆるリゾート開発を考える。これは未来の観光ではなく、むしろ石垣島の観光の未来を潰す可能性がある。
建設業は土木産業の仕事を作り出すことが、石垣島の政治の目標である。たぶん日本の離島の多くがそういう構図にあるのだと思う。離島の建設業者は例えば大きな港湾設備を建設する仕事をやるために、様々な記事嫌人員を用意して対応する。
するとその港湾設備が終わったときに次の仕事がなければならない。そこで離島の政治は次の仕事を見つけ出すことが重要になる。公共事業でもいいし、民間のリゾート開発でも良い。石垣でもポンツーンとか言う海洋施設の建設というのも提案されている。
自衛隊基地建設、隊員住宅の建設、市役所の建設、クルーズ船の港、高級リゾート開発、ゴルフ場建設、ダム建設、大規模農地整備、道路建設、博物館建設、これらのことが動くことで島の建設業とそこで働く人や物の流れがある。その流れが止まればかなりの倒産も起こるだろう。島の経済全体が苦境に陥ることは間違いない。
必要なものであれ、不必要なものであれ、あるいはやるべきではない事業であれ、島の経済はかなりそうした建設業に依存しているのが現実だろう。だから、島の未来にとって負の遺産になるだろう物でも、建設関連に多かれ少なかれ関わる人の多さが、次の建設の仕事を島の政治に期待することになる。
一方で多くの人が島の未来は、観光業にあると考えている。この点はたぶん大きくは違わない方向なのだと思う。石垣島が世界でも有数の美しい島だと言うことがある。その美しさは自然と人間の暮らし方の調和に支えられている。
太古の自然が残されているとか、絶景があると言うのではない。ごく普通の島にごく普通に人が暮らしている。その当たり前の調和が石垣島の一番の魅力だと思っている。これには異論はあるだろうが、今後石垣島で議論されて行くべき部分だと思っている。
畜産に於いては石垣牛が重要な産業である。石垣は草の生産が年5,6回も出来る有利な草地と言う自然環境がある。牛の飼料が高騰する中、生の草を食べさせることが出来る条件は、石垣での畜産には未来があると思える。この畜産が必要とする草地が、石垣の観光と調和しなければならない。
石垣牛が安定して売れるためには、観光業がさらに盛んになる必要がある。石垣牛は島民が日常食べるような肉ではない。高級な肉で、観光の一つの要素になっている。台湾や韓国や中国から来る観光客の一つの楽しみが石垣牛になっている。
しかし農業全般で考えると、サトウキビは未来がほぼない。稲作農業も同様の状況である。観光と結びつかない限り、生き残る可能性は低いはずだ。サトウキビもお土産の黒砂糖であれば一定量売れているが、普通の砂糖としての販売は採算が合わなくなっている。
パイナップルやマンゴーの生産もかなり苦しいと言われているが、可能性はあると考えている。観光と結びつけることが可能だからだ。お土産と言うこともあるし、ジェラートなど良い材料を使う他では食べられない特別に美味しいものが観光客の人気になっている。
美味しいと言えばマグロである。生のマグロが食べられる島だ。今は観光と結びつくまでではないようだが、将来は石垣島に生のクロマグロを食べに来ると言うことになると思っている。その他美味しい貝類もあるのだが、これはすでに資源が枯渇しそうだ。
観光客が楽しめる乗馬クラブもある。もちろんダイビングショップは数多い。きっと石垣島に釣りに来る人もいることだろう。ウインドサーフィンやヨットなどもよく見る。石垣島に何かをやりに来るという人が観光客のかなりを占めているのだろう。野球やサッカーのプロチームがキャンプに来ると言うこともあるようだが、雨が多いいと言うことが、ネックになる。
観光に結びつく農産物は未来があるのではないかと思っている。その意味で、石垣島のお米がホテルの朝食に使われるというのも良いと思っている。美味しくて、有機農業での生産のお米ならば可能だろう。石垣島の水田が石垣島の環境と景観に寄与していることを考えると、どうにかして結びつけたい。
そしてなにより「おもてなし観光」である。一番は石垣島の民謡文化である。伝統的な八重山民謡の奥深さは間違いなく日本一である。世界から注目される物だと思う。それと同時にビギンやきーやま商店のような人気バンドもある。島の若い人達が音楽に触れている。
おもてなし文化の島といえるだろう。泡盛はその象徴である。泡盛もうまく観光と結びつくことが重要にちがない。石垣産のお米で泡盛を造るようになるべきだろう。観光と地元の酒は結びついて成り立つ物だ。価値あるお酒が造られれば、必ず残って行くだろう。
おもてなしの背景にあるものは、相手の心を読み取る能力である。わずかな表情の変化で相手の心が読み取れなければ、おもてなしは出来ない。これが日本人にはかなり出来なくなってきている。フランスに暮らして一番驚いたことは、相手の表情を読み取る文化がないと言うことだった。
日本人がまわりの人を気にして暮らしてきたのは、百姓文化である。いつも自然を読み取らなければならない。動じにお隣の田んぼのことも気にしていなければならない。水は繋がっていて、自分だけ良ければと言う人は、我田引水と言われて、地域社会では排除される人だった。
いつも回りに配慮して手入れを重ねて行く百姓の心。この里地里山の考え方が、実は日本の物作りに反映したのだ。心配りのある、わずかな改変を重ねて、さらに良い製品にしてゆく。一人でではなく、全体のチームで協調して良い物作りを行う。
このおもてなしと物作りの心の繋がりは、これからの石垣島の観光に一番重要な要素になるだろう。台湾に行って実に気持ちが良いのは、まだおもてなしの心が、日本よりも残っているからだ。それは石垣島にも残っている。これから石垣島が世界一の観光地になるためには、おもてなしの心だろう。
おもてなしの心がなくなれば、施設の整備では追いつかないのだ。自然を大切にして暮らしているのだな、そういうことが感じられる石垣島にならなければ、観光に於いては単なる消費になり、必ず滅びてゆく場所になってしまう。