慶応高校のエンジョイベイスボールが優勝

   


 竹富島と石垣島の間の海は石西礁湖(せきせいしょうこ)と呼ばれる、日本最大の珊瑚礁の海だ。海は様々な様相に変化する。色もアカから黄色まで、色々に変わる。空が反映しているようだ。砂の白さが影響している。浅い海だ。竹竿で舟を操り、西表島まで、田んぼの出作りに出掛けていたらしい。

 高校野球は慶応高校の優勝で終わった。このところ高校野球廃止論が言われていた。気温が高すぎるというのが、主たる理由のようだ。止める必要など全くない。折角100年も続けてきて、ここで止めたらダメだ。継続する方法などいくらでもある。早朝と夕方から夜の野球にする朝朝5時から始めて、夕方も5時から。朝夕2試合づつ行うぐらいにする。

 これから日本は熱帯で暮らして行かなければならない。暑さ対策はあらゆる場面で必要になる。しかし、高校野球廃止論を読んでいると、どうも暑さは本当の理由ではないようだ。理由などどうでもいいようだ。高校野球にいちゃもんを付けて、目立とうとしているだけらしい。

 人気の高校野球に、一言意見を言いたいというスポーツ評論家なのだろう。今年は107年ぶりの慶応高校が優勝でおもしろいではないか。最近学力の高い高校が甲子園で優勝することがままある。文武両道で良いようだが、格差がこういう所にも表れてきている可能性もある。昔から成績の良い子供は運動も出来たものだ。

 楽しんで野球がやれて、それで甲子園で優勝できれば最高の形だ。大半の高校で頭を坊主にして野球をやらなければならないというのは、楽しんではならないという意味なのだろう。お寺で修行するときに頭を坊主にするのに習っているのだ。軍隊に入るときも坊主にする。そうした覚悟を野球に要求されている。

 沖縄は野球が盛んだ。野球部の無いような高校はまず無いだろう。一つの高校でチームが組めなければ合同チームを作り、県大会に出場している。石垣島でも、野球部の生徒が颯爽と練習姿で歩いているのを見る。素晴らしいと思う。若い時代にスポーツを全力でやるという意味は大きい。それは甲子園に出られないでもおなじだ。

 学校で学ぶものは様々である。学問もあるが、何かに打ち込むという生き方を学ぶと言うことが重要だろう。野球が打ち込めるものであるなら、素晴らしいと思う。その先に甲子園があるわけだ。確かに学校経営のために甲子園の野球を利用する高校がある。これは見よいものではない。

 全国で野球に打ち込む高校生の大半はそんなこととは関係が無い。その先にあるものが、例えプロ野球というものであるとして、日々のスポーツに対する努力は、打ち込む純粋なところがなければ、やりきれるはずもない。様々な思いで努力をするのだろうが、そうして人間は成長するのだろう。

 問題はどんな所にもある。プロ野球選手の人間としての未熟な人を見ると、野球さえ上手ければそれでいいという、良くない教育を受けたに違いないと思えることがある。それでも簡単に甲子園を止めれば良いなどと言えるはずがない。人間を一辺倒に考えてもダメだ。

 日大のアメフトスポーツ部で大麻および覚醒剤使用が問題になっている。いかにもスポーツ部問題にされているが、社会全体に広がる問題であろう。世界に大麻が許可される国が増加している中で、禁止しをする方針の日本という社会の中での、大麻の位置づけである。身体に悪いから禁止をするという根拠が曖昧になっている。たばこやお酒との違いを明確に論議すべきだ。

 高校野球は継続すべきだ。郷土という物を再認識する機会なのだ。沖縄に移住した私も、沖縄尚学高校を応援した。慶応高校に負けたときにはがっかりした。優勝した高校に負けたのだから、仕方がない。相当に強かった。極端に強かった再優勝候補の東北高校が力を出せずに破れたのだから、慶応のエンジョイベースボールには勢いがあったのだ。

 慶応の自由な髪型が話題になった。当たり前の事だが、坊主にしたからと言って、野球が上手くなるわけではない。自由な髪型の高校が優勝したのは良い傾向だろう。何年かしたら、坊主の学校は優勝できないと言われるようになればますますおもしろい。楽しんでやれるのが一番だ。

 エンジョイベイスボールはいいが、エンジョイできると言うことの奥にあるものをつかんでいるはずだ。心底楽しめるためということは、全力で野球にかけられるものがあるからだろう。何よりこの点が重要である。これさえ学べれば、野球を止めることも何でも無いはずだ。

 慶応高校の野球部員はプロ野球を目指すばかりではない気がする。社会の様々なところで、真摯に打ち込める人になって行く可能性を感じる。スポーツは分かりやすい物だ。これが坐禅であれば、なかなか分かりにくい。勉学というのも今ひとつ分かりにくい。

 慶応高校は慶応幼稚舎から上がってくる生徒が普通に見える。野球をやっている生徒はそういう生徒だろうと、思われるかも知れないが野球部の選手の大半が、他の中学からの入学した生徒だ。スポーツ枠の受験があるとしても、相当の受験勉強の難関を突破しての慶応のエンジョイベースボールなのだ。

 監督を呼び捨てにするという。これも異色だろう。自由を重んじて、上からの押しつけをしないらしい。若い時代に自らの意志でスポーツに打ち込むことは人間を育てる意味で重要なことになる。だから、簡単に甲子園を止めれば良いなどと言わないで欲しい。

 止めるなど最後のことだ。あらゆる継続の努力をして、万策尽きたときに出る言葉だ。評論家が軽く言うような言葉ではない。全国には高校野球を支えている人がいる。野球だけではない。様々な形で若者のスポーツを支えている人がいる。打算抜きで応援する人がいる。そうして若い人達のスポーツは維持されている。

 私が高校生の時には指導者が居なかった。その為に自分に合うスポーツを見付けられなかった。それで陸上をやっていたのだが、陸上競技もまったく指導者はいなかったから、陸上競技と言ってもただ自分たちで走るだけだった。陸上の中で自分がどの競技が向いているかも分からなかった。

 世界陸上を見ていたら、野球から陸上に替わて金メダルを取った、走り幅跳び、パナマのサラディノ選手の話が出た。大リーグからスカウトされるような選手だったというのだ。良いコーチがいて、幅跳びを指導していたのだろう。
 
 自分に合うスポーツを見付けると言うことは重要なことだ。国にはそうした場を作って欲しい。スポーツテストをして、その結果を専門家が見てくれてどういうスポーツに進むべきかの指導をしてくれる場だ。高校生のスポーツは素晴らしいと思う。

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