政治の再生方法

政治はどうしようもなく力を失った。その原因は公正な民主主義があると言ういことを誰も信じなくなったからだ。自分の力で政治が変わるという民主主義の原点が、間違っていたと言うことを、誰もがつくずく思い知った結果だと考えている。
70年代ぐらいまで、今から半世紀前までは、大規模なデモが時々行われた。今は辺野古で座り込みがあると、半島からお金を貰ってやっているのだというようなことを、とくとくと言う人がいるほど社会が病んでいる。沖縄では辺野古米軍基地の新設を住民投票で拒否している。
それでも政府は無視して当たり前のような姿勢である。つまり民主主義はここには存在しないのだ。そして沖縄への特別予算の配分を減らして、政府にたてつかない方が、予算が増えるとウマにニンジンを吊して従わせようとしている。
そうした苦い結果の繰返しが日本の民主主義の結果である。お上は何をやっても何も変えないと言うことだけを多くの国民が学習した。パブロフの犬ではないが、何をやったところで無駄だと言うことで、民主主義を信じられなくなった。
石垣島では自衛隊基地の是非の住民投票をやるべきだという署名を3分の2をもの市民が行った。にもかかわらず、市長も議会もこれを無視した。そして、住民投票をしなかった理由すら説明がない。条例が間違っていたというような訳の分からないことになった。
こうした当たり前の民主主義を政府も行政も軽視している。その結果住民自身が正辞退して何をやっても無駄だというような、無力感を感じるようになった。これが日本が活力を失った原因である。政治に対して何か意見を言ったところで無駄だということになった。
民主主義では原則として多数派の意見が尊重されるという体験がないのだ。日本の社会では政府が一度決めたことは、どれほど間違えが指摘されても、変更すると言うことが無い。その象徴的事件が安倍晋三氏の国葬事件であった。
安倍氏は日本の政治をだめにした張本人である。アベ時代の日本は衰退の時代である。何で国葬になるのかその説明がない。長かったからだと言うぐらいが国葬の理由であるが、功績がないまま日本が下っていく時代そのものである。
安倍一家は3代に渡って統一教会という反日勢力と結託して日本の政治を行った。実は朝鮮の反日勢力にお金を貢ぐ協力を続けていたのだ。右翼と言われていたのだが、日本を裏切った責任者である。それは岸時代から分かっていたことである。
日本の右翼勢力はなぜ反日勢力と結託したのだろうか。たぶん自立心が無いと言うことなのだろう。アメリカに依存することだけを考える、国粋主義とは到底言えない右翼である。現在その安倍一家の実際が社会の表面に見えてきたにもかかわらず、右翼勢力から安倍批判が出てこない。
なぜ、日本会議から安倍批判が出ないのだろうか。つまり、日本会議も統一教会と連んでいるからなのだろうか。なんと腐敗した右翼勢力であるか。安倍国葬が行われたと言うことは、隠れ反日勢力が自民党では一番の勢力と言うことなのだろう。つまり、政治の名をかたるだけで、日本の政治を食い物にしている組織なのだ。
それはオリンピック汚職でも明らかになっている。要するに電通のような情報を操作できる組織が自民党と連んで選挙をしている。統一教会がいなければ選挙が出来なかった以上に、電通の御陰で当選した議員が山ほどいるのだ。アベ時代に日本は決定的にだめになったと思う。
岸田政権ではあの炎上議員の杉田水脈 氏を内閣に入れた。常識ではあり得ない選択である。組閣するのに岸田の意志は無視されているのだ。杉田氏を入れれば、矢面になるくらいのことは誰にでも分かる。それでも入れなければならない、政治の事情があると言うことだ。
安倍派の意向だろう。何しろ安倍晋三の後継者に杉田議員が上がっているというのだ。議員としての資質に問題がある以上に、人間としても問題がある人だ。やはり安倍関連と日本会議である。この圧力が自民党の中で強すぎるのだ。だから、批判の矢面になるに違いない杉田氏が政務官になった。
そこでどうすれば民主主義を取り戻せるかである。まず選挙制度を変えることだ。宗教政党公明党と保守自民党が連立することで、政権を取るような形は間違っている。両者のご都合主義で連立が行われているが、これが日本の政治の無気力化の第一原因である。
投票の結果が、議員の数に正確に現われる選挙制度にしなければだめだ。ネット投票の研究をすることだろう。重要政策には直接民主主義の手法を取り入れる。住民の半数が要求すれば、その案件は直接投票をしなければならない。
投票に費用がかからないようにするためには、ネット投票が不正無く行われる仕組みを作り上げることだ。それが出来なければ、民主主義が死んでゆく。それは世界全体のこれからの方向になるはずだ。ネット投票が出来るようになった国が民主主義を取り戻し、活力を持つようになる。
これは選挙運動の負担も軽減される。各立候補者の政策や公約が一目瞭然に分かる。マニュフェスト選挙になる。議員の活動の成果も誰にも見える形で追跡できることになる。政策選挙である。出来れば各議員の日常の活動も、ネットに上げてもらう。
ネットが出来ない議員はネット対応秘書が必要になるだろう。ネットで嘘を表現する議員もいるだろうが、結局はそうした議員は淘汰されることになる。良い政策を主張すれば、その議員は指示を集めて行くことになる。それくらい有権者を信頼しなければ、民主主義は育たない。
残念なことに、民主主義が弱まった社会では民主主義的に政治が改善されて行くと言うことが無い。政治家は自分の勢力の利己的な考えだけで、多数の意見を聞く振りをするだけである。私を含めた日本人全員が、もう一度民主主義を思い出すことしかない。
日本人は民主主義を実戦できるだけの人間であると信頼して良いと思う。様々な意味で日本人にも問題はある。しかし、民主主義を作り上げることが出来るだけの資質はあると思う。困難なことだから、失敗もあるだろうが、試行錯誤して、最初の民主主義国家に日本が成る。
日本が民主主義国家になることが出来れば、どこの国よりも活力がある国になれる。民主主義は国民一人一人の力を発揮できる制度だ。ここからやり直さなければ、新しい資本主義など出来るはずもない。資本主義の正しい方角を見付けるためにも、民主主義を本物にすることだ。