75歳になって考えること

トゥリーハウスを作るヤラブの木である。海までは200m。この木の上でコーヒーを飲むのだ。できれば、のぼたん農園で作るコーヒーが良いが、まだそこまで準備が進んでいない。この木は枝振りがトゥリーハウス向きで良い。直径が1m。下の方から4本ほどに枝分かれしている。枝振りを見ると家が作りたくなる木だ。
その時、そのときの年齢の人でありたいと思って生きてきた。今日は75歳になった。年寄の記念日である。ここまで来たのかと思う。自分の75歳をしみじみと味わいたいと思う。75歳なのに、65歳のつもりは嫌だと思っている。100歳まで生きるつもりだから、4分の3が終わったという感覚である。
いよいよ笹村出という人間の結論が出る、大切な残り4分の1という感じだ。意外に早く来た75歳である。何も出来ていないのに、75歳になってしまった気がする。残念であるが、それなりに日々の努力はしてきたつもりだったのだが、大したことはできていない。すべてはこれからの25年にかかっている。
この程度の人間なのだから、大抵のことは受け入れるほか無い。75年付き合ってきた自分のことぐらい分る。結果が劣るからと言ってそんなことは、いまさらどうでもいいのだ。あくまで自分の生きる意味だ。人と較べるから残念と思うのであって、自分なりにと思えばこれ以上は出来なかったと、思わざる得ない。
一応計画的に生きてきた。15歳からの25年はあれこれ揺れはあったのだが結局の所、40歳までは絵描きを目指して生きていたのだろう。子供のころから絵を描くのは好きだった。それ程上手なわけではなかったが、叔父の彫刻家だった笹村草加人の影響があったのだろう。人を魅了するところのある人だった。
40歳前に絵を描くと吐いてしまうようになった。絵をでっちあげることが気持ち悪くなった。これはだめだと思って40歳前に自給生活に入った。そして、山北で開墾生活に入り画家になることを諦めた。シャベル一本の自給が達成できて、65歳までの今度の25年間はあしがら農の会の活動を行った。
それから今度の25年の90歳までは、自分のための絵を描き尽くそうと考えて今を生きている。そして10年が経ったところが、75歳の今日である。絵だけ描いている生活をするためには小田原に居たのでは無理だ。それもあって小田原から離れることを考えたのだと思う。その方があしがら農の会に良いとも考えた。これは正しい判断だった。
それが石垣島暮らしに入ることにつながっている。今はのぼたん農園の活動をやっては居るが、これはあくまで絵を描くための、のぼたん農園である。自分の絵を描く為に、農作業を続ける必要があったようだ。それ程田んぼや生き物が好きだったと言うこともある。自給農をやらないと絵が描けないと言うことになる。
のぼたん農園で絵を描けると安心である。これが何よりである。農場を見回り、水牛の様子を見て、いくらか農作業をする。そして絵を描く。これだけで十二分に楽しく、安心である。絵も進んでいる。ーーーと思っている。日曜水彩画展示を始めてから、簡単に昔の絵と今の絵を比べられるが、自分では自分に近づいているように見える。
「225 水彩画 日曜展示」とある。つまり、225週間前からブログでの作品発表を始めたことになる。1575日。4年と3か月前からということになる。2000年5月か。ブログを調べてみたら、2020-05-17 が第一回になる。こういうことがすぐわかるのがブログの良いところだ。
作品数は日々の1枚だから、1575枚無ければいけないはずだが、1543枚になっている。22日分足りない。最近、7枚描けない週が増えたのだ。日々の一枚が日々で2日で、一枚になっている。何とかしなければと思うのだが、絵が進まなくなり止まることが最近ある。
出来た絵はなかなかだと思っている。水彩人の出品作はもう小田原に用意してあるのだが、その絵よりも今の絵の方が良いような気がする。こんな調子で前の絵よりわずかでも良くなれば、25年すればすごいことになりそうだ。そう思って頑張る。
2018-11-11 が石垣島に引っ越した日にちだ。石垣島に来て6年間である。これも今ついでにブログを調べたみた。引っ越して、一年半経って日曜展示を始めている。やっと落ち着いて、何か絵に求める気持ちが起きて、ブログに絵を出すことを、始める気持ちになったのだろう。
絵を見ると、やはり変化していることがわかる。良くなっていると決めるのは怖いことだが、自分の絵に近づいていることはわかる。自分にしみついてしまった、人の絵が少しづつだが消えている。その分、絵ではないようになっているともいるが、人の絵を消すことには年月がかかる。
そこからである。人の影響を越えてから、自分の絵が始まるのだろう。何を言っているのだということかもしれないが、自分にはそうとしか思えないのだ。自分の絵を私が描き始めれば、誰にでもそのことがわかってもらえると思っている。
もう一息である。いやたどり着けないのかも知れないが、それならそれで受け入れる覚悟だ。自分の絵とはなにか。それは見た人が楽しくなれるような絵ではないだろうか。生きる目標は私に出会った人が、明るい気分に成れるような人間であることなのだ。絵も自分の絵ならそういう絵のはずだ。
自分のためにやることが、人のためでもあるという生き方がしたい。そんな残り25年にしたい。もし出来ればこれほど幸せなことはないだろう。自分のために描いている私絵画が、人が見ることで楽しくなるような絵になればと思う。見て明るい気分になれば、それが良いと思う。
人のためになれる人間であるためには、農作業が出来る身体でいつまでいられるかだとおもっている。計画ではあと、5年間は何とか人並みに農作業がやれる計画である。トゥリーハウスが出来たときに木に上れないのでは話にならない。今のところまだ身体は何とか動く。
朝の動禅体操を継続すること。これをあらためて75歳からの目標にしたい。継続できる間は人並みに動ける身体が維持できる。そう考えて今日一日を頑張りたい。粘り強く続ける事が、大切に違いない。一週間寝付いたら歩けなくなると言う。一週間動禅体操をやらなければ、きっと農作業が出来なくなる。
動禅体操を継続することは、ブログを書くことや、絵を描くこととは違い頑張らないと出来ないことだ。体操はそれ程好きというわけではないのだろう。農作業はしない日がないから、同じ身体を動かすなら、農作業を動禅体操にすれば良いかもしれない。
さあ今日から75歳の一日目を生きる事になる。