2020年の終わりに

   


 宮良川の中流域である。この川は画面の上の方に流れている。水平線の向こうには海がある。写真でも絵でもなかなかそうは見えない。しかし、肉眼では向こうに流れて行くことが当たり前に分かる。目にはなかなかすごい機能がある。

 今朝の気温は11度である。記憶では石垣島に来て一番寒い日ではないかと思う。調べると1963年01月28日に6.5度を記録したことがあると出ている。しかし最近ではやはり11度は寒い日のようだ。

 2020年は世間的にはコロナで、困った歳だったのだろう。申し訳ないようだが、私には良い年であった。不要不急老人の年であったのかもしれない。若い人には辛い年であったことだろう。来年はコロナも終わるだろうからもうひと頑張りである。

 絵描きの暮らしは普通の人から見れば、おかしな暮らしである。朝、小学生と一緒の時間にに出かける。交通指導員の自治会の方と毎日挨拶を交す。小学校の前を通る。このところ冬休みで子供がいない。いないと少し物足りない気分で通る。子供の様子で暦を思い出す。

 やっと絵画生活が軌道に乗ってきた年である。絵はまだまだである。一般的に言えば、前よりつまらない絵を描くようになっているのかもしれない。風景を写生しながら、自分の絵を描き始めた気がしてきた一年であった。自分の眼が見たものを絵として描くようになってきている。良い絵をまねていると言うことが無くなったことだけは、確かな一歩前進である。

 絵が少し自分の中に引きつけられた。絵を描くという感覚をすこしづつ取り戻し始めた。ここ4,5年は絵を描くのでは無く、見えているように写生をするということに徹していた。やっと、こびりついた物を剥がし切ったような気がしている。絵を描くという喜びを描きながら感じ始めている。

 良い絵を描きたいという気分も持たないでいられる。見ているそのものと一体になるようにただひたすらに描いているだけだ。いつの間にかである。前はどうだったのか思い出せないのだが、今は絵にしようという意識で描く事は無くなった。

 今年はやっと描くと言うことに没頭している。そのものに迫って行くという感じがつかめた気がしている。描きたいと思う場所が少し変化をしてきている。自分の絵にいたる道に近づきつつあるのかもしれない。なんとなく希望的に感じるところがある。

 石垣島に越してきて二年目は、計画したとおりに進んできた。70歳代は自分の絵を描く修行の道である。コロナが蔓延する中でむしろ修行計画は心乱れること無く進められた。条件が整った感がある。災い転じて福となしたような気分。

 軽トラアトリエカーが完成した。運転のしやすい4WDの軽トラに変えられた。これなら少なくとも80歳までは運転できそうだ。理想のアトリエが出来た。小さなアトリエカーが絵を描く空間として何とも言えなく良い。ここで24時間暮らして絵を描いていても良いと思うくらいである。

 画車とか画堂と言いたい気分だが、アトリエカーである。かっこつけるほどのことも無い。アトリエカーで絵を描いている人は他にもいるのだろうか。まだ出会ったことは無い。ネットで見ても今のところ見つからない。きっと世界にはいるはずだ。

   風景が見やすくなった。風景と対峙しやすくなった。見ている自分の場が確立できたような気分である。座禅をしていて、目を開くと風景があると言う状態の素晴らしさ。冷静に風景を眺めることが出来る。4方向から入る光を調整できるので、どんな天気でも絵を見やすい。50号まで描けるようになった。

 動禅を始めた。朝6時から、スワイショウ、八段錦、24式太極拳、蹴り上げ肝心体操、腹筋体操、体幹強化体操、半身浴の1時間。動禅を1年通して行う事ができた。これもコロナのおかげである。肺を鍛えようと思ったところから、始まった。呼吸の仕方が大分深くなった。

 徐々にこれは体操と言うより、禅の一つではないかと思うようになった。座禅は自分には無理だったが、動禅であればできるようになるかもしれないと、本気で取り組むようになった。それが絵を描くことも画禅なのではないという意識が出てきた。

 絵を描く暮らしは肉体的には不健康だ。絵を描くことも画禅として行う方が良い。画禅に至った絵描きは長生きである。精神が肉体を越える。医学的に見れば、禅僧の暮らしは生きていることが不思議と言われている。北斎と中川一政が代表例である。絵を描くと言うことがその人そのものになることである。

 北斎によると100歳まで生きなければ自分の絵に至れないということである。中川一政は100歳になれば、手形でも絵だと冗談を言っていた。北斎も中川一政も惜しいところで100歳前に死んでしまった。私のような才能の少ないものであれば、絵を深める唯一の道は、100歳までの精進以外にない。

 夕方には作務勤行として、アトリエの掃除をしている。これだって続けることで、今生きることを修行として生きていることにできるのではないかと思っている。掃除はなかなか良いものである。面倒くさいようだが、いまはアトリエ磨きをやらないと気持ち悪い。

 一ヶ月目、二ヶ月目、そして1年。やはりすこしづつ進んでいるものを感じる。少なくとも動きが身につき、意識がだんだん邪魔されなくなっている。修行と言っても楽行である。適当な私には相応しい動禅の毎日のようだ。

 北斎は100回の引っ越しを目指したそうだ。100回も改名をしたそうだ。心機一転を何度でも目指したようだ。そして100歳に絵が完成すると言うつもりだったらしい。まさに私が手本とするところだ。北斎は日々一枚という絵を続けている。ともかく描くことであろう。

 北斎は名声を捨てて、やり直すという意味で改名したわけだが、無名の私は改名する必要は特に無い。それでも身についたものを捨てることは大変なことであった。身につけるよりも捨てる方が大変だった。ここからが始まりである。

 無事一年が終わると言うこともあるが、来年こそやってやるぞと言う気分が満ちてきている。今日も描くことが決まっている。昨日の絵をどのように続けるかが見えている。今日の内に完成まで進めるつもりでいる。このところ描き始めた名蔵湾沿いの田んぼがともかく面白い。

 毎日早く行って描きたいことがある。新しい景色に出会った気分である。石垣の濃厚な緑の何かが見えてきている。琉球松とヒカゲヘゴがある状態が見えてきて、自分の絵に入り始めている。面白くてしょうが無い。この方角でもうしばらく進むつもりだ。

 - 身辺雑記