2020年の水彩画のこと

   



 今年も12月29日まできた。残すところあと3日。年末年始だからというのはあまりない暮らしである。唯一、年が明けたらば、お水取りに於茂登岳白水神社へ行く。すぐ下の田んぼに絵を描きに行く。その前にお水取りに行き、その水で絵を描くことにしている。

 3回目になる。過去2回お水取りに人が来ている様子は無かった。石垣にお水取りの習慣があるわけでは無いようだ。お水取りした新しい水で、絵を描きたい。家に帰り書き初めをする。上手になると言われている。絵は上手になったのだろうか。少しは良くなったのだろうか。於茂登岳へ畏敬の思いはある。霊験あらたかなはずなのだが。

 今年新しいことと言えば、アトリエカーでお水取りに行くことだろう。そのことを思うだけで何か愉快になる。ほぼ完璧という気分の充実である。これ以上、何も言うことが無い。描きたいときに描きたい絵を描くことができる。これほどの幸せは無い。感謝の深い年であった。

 アトリエカーが来てから、絵が一段高くなった。値段では無い。絵を描く位置が少し高くなった。田んぼの水面が描きやすくなった。アトリエカーで描く位置は人が立っている目線ぐらいである。以前のタントアトリエよりも30センチぐらいは目線が高いのだろう。これだけで大分絵が描きやすい。

 もう一つは光の調整がなんとでも成る。以前は光に向かって絵を描くことは難しかった。画面の半分に日が差し込んでいる状態では絵は描けない。今はカーテンを調整できるので、光に対してどの方向からも絵が描ける。この点でも随分楽になった。雨で真っ暗な日でも4方に窓があるアトリエカーの中は、絵を描く明るさには充分である。

 年賀はがきの水彩画もアトリエカーの中で描いた。家に戻ってからもアトリエカーの中で絵を描いていることは良くある。居心地が良いのだ。良すぎて寝てしまうこともある。非常用バッテリーでお湯を沸かして、インスタントラーメンを食べて、夜まで絵を描くこともある。

 普通は午前中だけにしている。描きたいという気持ちが充実している間だけ描くことにしている。描いても新鮮な感覚が出てこないことが多い。別段無理をして絵を描かなければならない理由はない。

 好きな景色を前にした、アトリエがある。アトリエカーを禅堂をまねて、画堂だと思っている。お寺では摂心の一週間は禅堂で暮らすのだが、画堂であれば喜んで一週間修行できる。これほど具合の良いものなら、早く作るべきだった。アトリエ画堂車は今年一番の成果である。

 今年の書き初めは立春大吉と画堂車に決めている。特に書き初めでは左右対称の文字が書きたいと思っている。石敢當と石にも書くつもりだ。これは依然書いた文字が消えた。それでもう一度書くつもりだ。1年経つと消えて、書き初めで又新たに石敢當と描くというのも悪くない。石敢當とはマジムンをはじき返すおまじないの文字だ。

 ことし絵は少し踏み込んだのではないかと思っている。水彩画展示の初回は5月17日である。絵を語る会もなくなり、絵を公開する手段を持たなければならないと考えてのことだった。今年の終わりになって1回から、33回までを振り返ってみた、まだまだではあるが、良い方向も出てきている。

 水彩画日曜展示を見た、随分描いてますねと言われたことがある。別段描くペースは同じである。水彩画になってからは一週間に3枚ぐらいで何十年も続けている。油彩画の時は一週1枚のペースであった。ただ発表もしないのでそのまま眠っていて、そして捨ててしまったものもがほとんどである。

 葛飾北斎は一日1枚を志したそうだから、多いとは全く思わない。勤行と考えれば、描かない日がある方がおかしい。今はブログで公表するということにしたので、描いたもののほとんどを日曜展示している。日々精一杯のものではある。見直せば不十分なものである。

 10年ぐらい続けてみなければ、何をやっているかさえ、本当のところは分からないと思っている。成果を求めてやっていることでは無い。描きたい絵を描きたいだけ描いていればそれで行き着くところはあると考える。傍から見ての評価は一応別である。見直しながら、自分の進む方向が確認できればそれで万全である。

 10年と言っても生きているかどうか分からない。そういう年齢である。それでも、100歳までを生きるつもりで、今を生きている。今の絵が碌でもないとしても、100歳で完成するためだと思っている。人と比べれば、良いとか悪いとかあるのかもしれないが、今更くらべてみたところで意味が無い。

 水彩画日曜展示を始めたことは、今年の二番目の成果である。私絵画の画道を生きる者としての、ブログでの絵の公開という形はあるのではないかと思う。ブログは公開日記と言うことらしい。画廊で展示するというようなことより、他人に関わらないだけ精神的負担が無い。そうは言っても公開しないでいれば、独善に入る。この中間に位置するようなブログ公開という方法は、私絵画には適合していた。

 絵にとっての第3の成果と言えば、動禅を始めたことだ。今年に入り、朝太極拳を始めた。それが徐々に拡大して、自分なりの動禅を考えるようになった。これも始めて一年で、何とも言えないことなのだが、絵を描く心境という意味で何か感じるところがある。

 絵を描くときの心の置き所である。良い絵を描こうという浅ましい気持ちは良くない。これは捨てなければならない。と言って呆然と風景を見ていても何も見えない。描くべきものを見るためには、意識してみなくては成らない。ところが意識してみるとそれは、自分の獲得した色眼鏡になる。

 自分が絵だと思っている世界に、眼前の世界を当て込もうとしてしまう。それでは見ているものを受け入れていることには成らない。見たいものを見ているに過ぎないから、他人の絵を見て獲得した目を借りてきているような見え方になる。

 見ると言うことは、自分の生きている目が、その時に見たものである。その見るの心の置き所が重要になる。無念無想で見ると言うことなのだろうが、無念無想の先にある、自己の存在の充実が無ければ、見ていることには成らない。精神の充実を重ねなければ、見えるようにならない。

 本来であれば座禅と言うことになる。座禅が出来る人間が座禅の心境で絵を描ければと思う。ところが私には座禅が出来ない。残念なことであるが、出来ないのだから仕方がない。そこで次善の策として動禅を考えるようになった。

 達磨大師がインドのヨガから、只管打坐を打ち出したのは、大きな展開だと思う。たぶん中国の精神世界が、インドの精神世界と少し違ったのだろう。この二つの巨大な精神世界のぶつかりがもたらしたものが、禅にはある。中国の精神世界が何もしない、何も求めない、只管打坐に至ったことは老荘の思想の世界観なのだと思う。

 今年の第三の成果である動禅はまだ序の口である。始めることが出来たことだけが成果である。一つ具体的な成果は匂いである。座禅をしているとき突然匂いを感じることがある。これは一つの心の置き所が進んだことだと山本素峯先生に教えていただいた。

 動禅をしていると、匂いを感じることがある。意識が研ぎ澄まされてきて、匂いに敏感になるのだと思う。少し進んできたかと思う。絵を描いているときに、この匂いを感じるような意識の研ぎ澄ませ方が必要かと思っている。それには心眼で見なければダメだろう。半眼で風景を見ると言うことだろう。

 こうして一年のことを思い返してみると、随分と絵の描き方の進んだ年である。世界が感染症に覆われた。末世である。こうした状況だから、絵を描くということも明日の死を思いながら描くことになる。焦りもあるのだろうが、この一年は本気度がましたのだろう。石垣島に来ると言うことはこういうことだったのだ。

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