欠ノ上田んぼの稲刈りが終わった。

   

 

  欠ノ上田んぼの稲刈りが終わった。天候に恵まれて順調な稲刈りだった。田んぼがぬかるんでいなかったので、作業は楽だった。近藤さんの水管理のお陰だ。今年も稲刈りまで参加できたのは幸せなことだった。

 この幸せ感は厳しい作業をしている間も、ずーと感じていた。イネ作りをやり遂げる達成感と、良い仲間と同じ目的で頑張る充実。生きるという喜びを深く感じることが出来る稲刈りだった。そのことは小田原を離れてより一層感じる所だ。

 石垣島に住んでいて、小田原の田んぼに参加できることは、稀有な幸運であるにちがいない。何年こんなありがたい生活が出来るのかわからないが、身体の方は、まだ何とかみんなに着いて行けるようだ。田んぼ仕事はその人に応じた仕事がある。それぞれが自分に合った作業を見つけて行う事が出来る。

 石垣島では畑仕事をしていないでいる。突然稲刈りだから、大丈夫なのか少し心配はあった。昨年よりはだいぶ披露するようになった気はした。だから、あまり無理をせずやらせてもらった。そのおかげで何とか乗り切れた。

 翌朝に疲れが残っていないことにむしろ驚いたぐらいだ。筋肉痛などは全くない。少し、さぼりながら働いけば大丈夫だ。かなりの時間座り込んで仕事をしていた。座ったまま、畔の稲を刈ったり、イネを束ねたりしていた。バインダーなど全くやらなかった。もう私がやらない方がいいと思っている。

 こうして次の世代に作業が受け継がれてゆくことこそ素晴らしい。厳しい作業が出来なくなったものは、全体の流れが滞りなく進むように作業の手順を先回りして準備することだと思う。長年やっているので、次は何を準備すればいいかだいたい理解している。

 ただその時難しいのは若い人もわかっているのに、押しつけがましく指導するようなことになるとやる気をそいでしまう。今年は新しいハーベスターを使った。渡部さんが前日に試運転をしましょうと言われた。これが良かった。

 このハーベスターは難敵で、今までのものと違って、癖が強かった。中古の程度もそれなりのもので、エンジンの力も少し弱くなる。このあたりの加減が結構難しかった。前日に問題点の把握が出来ていたので、翌日はそれなりに順調にできた。

 稲刈りは10月3日と4日朝8時からの作業で、4日の午前中で終わった。それは午後、富田さんの田んぼを併せて進められればと思っていた。なかなか冨田さんの田んぼはよくできていた。整備も実に良いし、生育が統一されていた。それが終わり機会の清掃が終わったのが4時30分。

 ハザガケも美しくできて、欠ノ上の景観が実に見事なものになった。ハザガケも地域の風物詩であるという時代は終わりつつある。残念なことに今年も作業中に写真を撮るようなことは全くできなかった。作業に入るとそれだけになってしまって何もできない。

 引き続き、昨日つまり、7日に脱穀になった。7日の夕方から雨になり、8日はかなりの雨、そして10日には台風が近づく。もうなんとしても、7日の水曜日にやり切るしかなくなった。6日に準備して、試しに15番田んぼ分を刈った。乾いていて、問題なく脱粒できた。一安心である。

 翌朝7時から開始した。機械も悪くない調子で稼働した。しかし、一台では夕方までにすべて終わることは難しい。もう一台のハーベスターを、井関さんの田んぼで使っている。すぐ渡部さんに手伝いに行ってもらって、作業を早く終わらせて、持ってきてもらうことにした。

 これは正解だった。1時間半ほどすると、もう一台のハーベスターが作業に加わった。これで機械が順調に動けば、何とか夕方までに終わるめどがついた。15枚の田んぼがあり、1枚が1時間平均で脱穀できたとして、15時間になる。脱穀自体は2時に終了した。

 ハザガケの棹の片付け。藁の片付け。そして、一部の人がハーベスターの清掃。5人は冨田さんの田んぼの脱穀に移動。冨田さんの田んぼが始まると小雨が降りだす。それでも何とか4時には終わる。みんなの手分けした作業がすごい。

 そして機械をよく洗浄して、5時ごろにすべての作業が終わった。すぐにお風呂に入った。なんとお風呂から出ると、35キロのクエを釣ったという人から、おすそ分けを頂いた。お礼に丁度絞っていた自家製醤油を渡すことができた。

 この間少しづつ醤油を絞っているのだ。大きな金網が無くなったので、少しづつ絞っている。それでももう4本絞れた。帰るまでに醤油を絞り切りたい。一日2本絞れるから、この調子で、あと4本ぐらいは取れるだろう。もう醤油を仕込むというようなこともできないので、最後の醤油になる。

 荷物の方もいよいよ最後のものを送るようなことになる。後のものは小田原に残しておくほかない。小田原の農作業の方も何とかあと5年は続けたいものだが、今年の身体の調子だと何とかなるかもわからないと思えた。

 わずかなことであるが、新しく農業を始めた人たちに自分のやってきたイネ作りの技術を伝えることができた。これはいくらか役に立ったこともあるだろう。もう来年は自分流で大丈夫だ。私も石綿さんに一年間みっちり石綿農法を教えてもらった。

 今やっているやり方とはずいぶん違う農法ではあったが、一年間言われる通りの農業をやったことは後々役立つことがあった。石綿農法は7俵で良い農法で、私の農法は畝取り農法である。有機農業を広めるためには慣行農法より、収量が低いというのではだめだと考えたためだ。

 7俵の方が美味しいとか、生命力があるとかいうのは、私の領域ではない。イネを元気よく育てることが第一目標である。万作のイネのお米が一番良いお米だ考えている。それは養鶏で知った命の仕組みである。

 残った作業は籾摺りである。これを日曜日に行う予定だ。それで今年のイネ作りが終わる。田植えと稲刈りしか参加できなかったが、素晴らしいイネ作りに参加できた。来年も良いイネ作りになればと思う。

 昨日の晩から夜の間強い雨が降り続いた。昨日脱穀を無理をしてもやり遂げて、本当に良かった。突然の招集にもかかわらずほとんどの人が駆けつけてくれた。この気持ちがなければ、イネ作りは上手く行かない。無理をしても頑張ろうという気持ちになるのは、仲間だからだ。

 主食を作る仲間。命の仲間。これほど素晴らしい人間関係は他にはないだろう。あしがら農の会の仕組みは案外に他にはないらしい。是非とも、ここで試行錯誤された仕組みを、他でも利用してもらいたいものだ。田んぼの仕組みは誰も得をしない。誰も損をしない。本当の平等というものがどういうところにあるかを体験しているのだと思う。

 人の倍もできる人もいる。人の半分しかできない人もいる。それでも仲間として互いを支え合う気持ちが生まれて、良い分配をして誰も不満が出ない。能力主義ではない人間の在り方を体験する場なのだと思う。こういう活動が失敗するのは、現実社会の分配法を取り入れるところから始まると考えている。

 - 稲作