カーボンプレート入りシューズの是非

   



 箱根マラソンはピンクシューズが席巻した。なんだかなーと。あの色は選手に似合わないという位にしか思わなかった。どこかのシューズ会社が提供したのか程度に考えていた。要するに無知だったのだ。

 あのピンクシューズは世界陸連から禁止されるかもしれないというので、初めてあの靴が、ナイキのカーボンプレート入りランニングシューズだったのだと知った。現在発売されているヴェイパーフライというレース用の靴。これが人気で、品薄状態らしい。価格は3万円程度。

  高校の時は陸上部の選手だった。弱い選手で東京都予選落ちばかりで、全国大会にも行けなかったのだが、練習では予選落ちじゃないと言えるほど練習はした。中長距離をやっていたので、ランニングシューズ問題には興味がある。

 そもそもナイキのランニングシューズが注目されたのは陸上では初めてではないかとおもう。靴では日本のメーカーのアシックスは評価されてきた。アジタスの靴の方が有名であった。ナイキは靴は後発だから、大胆なカーボンプレート入りを考案したのだろう。

 結論から先に書けば、カーボンプレートは禁止すべきではない。カーボンプレートは体に害がないどころか、疲労を軽減すると言われている。どの競技でも一定の範囲を決めて技術革新をして行くことは必要なことだ。それでも靴底の厚さは取り決めるべきだ。5センチ以内とか。どんどん厚くなれば、市民ランナーにとっては危険な靴という事になりかねない。

 棒高跳びが良い例である。竹の棹で飛んでいた時代でも日本の竹は高く飛べるというので日本人が優勝したこともある。ところが、弾力性のあるグラスファイバー製の棒が出来て、記録も一新した。競技が変わったほど飛び方が変化した。棒の反発を利用した新しいフォームに変化した。

 それはどの競技であっても同じことで、フィギアスケートのシューズの改良なども4回転ジャンプを飛ぶことが出来るようになった一因とされている。ウインタースポーツはすべてに用具の改良競争のようなところがある。

 スキー板というものは木を張り合わせて作られていた。2メートルを超えるような長い重いものだった。それが短いカーヴィングスキーが出てきた。軽くて、弾力があり、初心者でも滑りやすいものに変わった。スキー競技にもアクロバットなフィギュア種目も出来て広がった。スキーが面白い競技に変わった。

 私が高校で陸上をしていた時もスパイクシューズが変化する時代だった。危険な釘の様なスパイクから、取り換え可能な先の平らなピンのスパイクに変わった。一番はスパイクで踏まれて大けがをすることが減った。それは土アンツーカーの競技場から、全天候型のウレタン系弾性舗装が出来たことによる。

 もちろんタイムも早くなったのだが、競技場の管理も良くなった。アンツーカーのトラックは凸凹になると修復が大変だ。競技場の舗装を変えるときも世界陸連では結構もめたはずだ。

 話をカーボンプレートに戻すと疲労が残りにくいという事もあるらしい。これは市民ランナーには福音ではないだろうか。価格も3万円ぐらいのものだから、許容範囲ではないだろうか。カーボンプレートシューズが主流になれば、2万円ぐらいまで下がるかもしれない。

 オリンピック種目で使用する器具や道具は、誰にでも買う事が出来るという事が必要である。ボブスレーのように何千万円もかかるというようなものこそオリンピック競技から外すべきだ。あの水泳のレーザーレーサー水着は禁止されたのは当然で、あれを買えないものは勝てないという事になる。

 厚底のカーボンプレートシューズは背も高く見えて、さっそうと走れるらしい。これも悪くない。どんな良い靴でも格好よくなければ続かない。ただシークレットシューズも5センチ以上は不自然なことになるだろう。高さ制限は世界陸連が決めるべきだ。ゴム底靴の材質も多様である。プレートをいけないという理由は説得力がない。

 10センチもある厚底シューズではさすがに格好悪い。もちろん危険だ。背の高い外国人選手は案外この靴は重心が高くなり過ぎて走りにくいかもしれない。足の短い選手の方が効果が大きいという事になるかもしれない。日本人向きのシューズかもしれない。

 今後カーボン素材の工夫という事が出てくるだろう。へたらないで長く使える素材。価格の安い素材。スポンジ部分との相性もあるだろう。すでにミズノもアシックスもカーボンプレート・ランニングシューズの販売を始めるようだ。良い靴を作ってもらいたいものだ。

 以下は個人的なことだが、陸上競技のことで思い出したの書いておく。駅伝の東京予選も世田谷学園で出場した経験がある。東京都予選で真ん中ぐらいだった。優勝して全国に出場したのは保善高校だったかと記憶している。それでも全国では下位だった。

 陸上競技部の中長距離班は世田谷公園で練習していた。そこに国士舘大学の駅伝部が来る。一周1キロだった。それだけでも付いていこうと頑張るのだが、到底追いつけない。すごい早さだった。10周するとそのまままた国士館まで帰っていく。さっそうとしてかっこよかった。

 世田谷学園はそんな弱いチームではあった。今流行りのワンチームではないが、弱いチームでもそれなりの充実感はあった。走ることを目標にしている仲間がいる。いろいろの意味で精神的には辛い高校生時代ではあったが、陸上部に救われていた。

 陸上競技を通じて自己記録更新という事を知った。人と較べるのではなく、自分の限界を超えるという事の意味だ。自分と向かい合える、陸上競技が好きだった。苦しさの限界の中でこそ、自分というものと向かい合う事が出来る。弱い自分というものを知ることもできた。

 カーボンプレートシューズを禁止するのはつまらないと思う。そうした工夫こそ面白い。そもそもスポンジを使うことだって工夫である。合成ゴムが出来て、シューズは工夫された訳だ。市民ランナーは靴に足を守られて走ることが出来るようになったともいえる。

 私が使っていたころのランニングシューズと現在の普通のランニングシューズとではかなり違う。たぶんタイム的にも違うと思う。

 アベベ選手は東京オリンピックで優勝したが、裸足のアベベである。他の人にはまねのできない歴史だ。マラソンが2時間を切る時代が来るのはカーボンプレートシューズによるはずだ。

 

 - 暮らし