東洋のスイスはどこに行ったのだろう。
子供のころの日本では東洋のスイスになれという話をよく聞いた。観光産業の国になれというのではない。永世中立国スイスである。どこの平和主義者がそういうことを言いだしたのかと思いきや、何と占領軍のダグラスマッカーサーというから驚いた。
スイスの事を小学校の先生が話してくれたことを覚えている。スイスは永世中立国である。第一次世界大戦にも。第2次世界大戦にも巻き込まれなかった。そして、山ばかりの条件の悪い国であるにもかかわらず、世界でもトップ生活水準の国となっている。一人当たりの所得も世界のトップクラス。幸せランキングでは常にトップスリーである。
いつの間にかそんなスイスになろうという話は聞かなくなった。昔しは、普通の話であったのだが、いまではスイスになれなどという話を知らない人の方が多いのではなかろうか。永世中立国の話は忘れてはならないことではなかったのか。
アメリカが主導した憲法もそうだが、アメリカは日本の未来を理想主義的な国と願っていたようだ。軍国主義日本を変えたいという思いが、アメリカ人には強かったのではないだろうか。確かに富国強兵の猪突猛進は不安なことだったろう。
今の北朝鮮を想像すると少しわかる。北朝鮮にスイスのようになってほしいという事は確かにある。日本もかなり困る国だったのだろう。それでせめて、永世中立国として他所に攻めてこないでくれという事だったのかもしれない。
スイスは国民皆兵である。兵役の義務がある。そして、攻撃的武力を持たず専守防衛である。徹底的な自衛のために国の防御態勢を固めている。ある意味焦土作戦である。各家庭に核シェルターがある。スイスを攻撃しても利益はないという事を明確にしようとしている。
確かに専守防衛は研究すべきことだ。軍事力が大きく変貌している。ドローン兵器の登場。経済戦争の現実。サイバー攻撃。細菌兵器。過去の遺物的な大規模軍事力に拘っている場合ではない。未来の安全保障の中での、専守防衛を研究すべきだ。地理的要素に縛られた中期防衛計画は発想が過去のものになっていやしないか。
日本は米との同盟に依存した安全保障政策である。アメリカは日本の基地を治外法権的に自由に使える代わりに、日本はアメリカに対して武力的協力はしないという事で来た。ところが、アメリカはそれは片務的で、アメリカに利益がないから、見直したいとしている。
すでに安倍政権下、自衛隊の海外派兵が可能な法律を作ってしまった。アメリカの要請に従ったということだろう。これはどう考えても憲法の拡大解釈だ。ここまで憲法を緩く考えるのであれば、憲法改定などしたらどうなるのかそら恐ろしくなる。
アメリカは日本の足元をみたのだ。日本がアメリカを守るなどと言えるわけがないから、他の形でいろいろアメリカに協力しろと言う交渉材料にしているのだ。沖縄の基地を返還しろなどと主張したら、どうなるかわかっているだろうな、という事が大きい。
日本が片務的を止めて、アメリカを守るためにはアメリカに基地を作る必要があるとして、希望の場所に日本の自衛隊基地を作れるのだろうか。そんなことをアメリカが許すわけがない。アメリカとの同盟を順次縮小してゆくときが来ているということだ。
そこには大きな不安があるのも事実だ。それに代わるものが今のところない。その中でアメリカが安心できる国ではなくなり始めている。アメリカについて行けば、世界中の戦争に巻き込まれる。テロ攻撃を受ける可能性も高まる。ではどうするか。
日本は日本独自での安全保障を正面から考えるべきだ。スイスの安全はどこからも等距離だから守られている。スイスになれと言ったアメリカ。平和憲法を後押ししたアメリカ。あのアメリカはどこに行ったのだろう。
日本独自でというのは孤立してではない。弱いもの連合ではないだろうか。弱い国の権利を、原爆を持たない国の安全を持つ国が保証する。攻撃的軍事力を持たないと宣言する国連合を日本は模索すべきではないだろうか。
スイスは今でも一つのモデルだ。ヒットラーですら攻撃をしなかったのだ。スイスは山で守られているのかもしれないが、日本は海で守られているともいえる。
アメリカに依存して自分を守ろうという考えは問題が生じている。韓国がよい先例である。韓国はGSOMIAを止められなかった。アメリカに従がわされたのだ。日米同盟を止めるというよりも、日本独自の防衛体制をつくり、徐々に依存度を軽減するという事だろう。
武力というものの性質が変化してきている。一方に核兵器があり、一方にドローン兵器が登場した。そして、IT攻撃である。核兵器に関しては、拡散してゆくことを止めること以外に世界平和はない。イランや北朝鮮を見れば、年々拡散を止めること難しくなる。日本は非核国の安全を保障する、新しい枠組みを国連に提唱すべきだ。それがなければ、アメリカに従う状態がいつまでも続く。
古い軍事的意識ではこれからの防衛は考えられなくなっている。特に固定型の基地の意味はどんどん低下している。移動式であり。出来れば基地など何処にあるかわからない形でなければ、国防は出来なくなり始めているのではないか。
武力は攻める側に優位な状況が年々高まっている。北朝鮮はアメリカの100分の1にも達しない軍事力であろう。しかし、アメリカに攻撃されずに自己主張をつづけている。攻撃さえしなければ、どんな小さな国も攻撃されないという状況を目指さなければならない。
日本は近隣諸国との友好関係を模索しなければならない。これが出来ないようでは、平和国家などあり得ない。韓国と仲違いしている場合ではない。仲違いする理由を見つけ出すこと等愚の骨頂である。仲良くできる理由を見つけることだ。未来永劫隣人としてやってゆく国なのだ。
東洋のスイスになるためには、専守防衛の国土防衛隊は必要である。国土防衛隊は災害対策を主目的にする。災害に対して、国土防衛と考える。同時に攻撃してくるものがいれば、国土を防衛する。テロ攻撃があれば、これも防衛する。海外での災害救助にも出動できるものとする。警察、消防、防衛隊。の3者で日本を守る。
日本の防衛力は海外への攻撃能力は全くないが、国内を守るためには高い能力がある。そうした亀の様な防衛力の研究強化である。新しい武力やIT攻撃に備えて、高い能力を持つことだろう。アメリカからの兵器の輸入は止めて、防衛的兵器の開発研究をする。