大豆の収穫から小麦の播種まで
大豆の収穫を12月1日に行った。大豆畑は3か所に分かれていて、全体では1反5畝ある。収量は320キロだった。品種は小糸在来種である。反収で215キロである。神奈川県では150キロが平均収量だから、今年はよく採ったという事だろう。完全乾燥ではないが。
久野に移動してから、久しぶりの豊作であった。しかもとれた大豆はずいぶんきれいな良い大豆である。栽培法で苦労を重ねていたが、やっと久野の畑でも下大井時代に匹敵する収量になった。うれしいことだ。
酒匂川のそばの田んぼ跡地でやる大豆栽培と、山の傾斜地でやる大豆栽培ではだいぶ違う。土壌が違うとこうも大豆の様子が変わるものかと思った。山の畑の方が難しい。大豆の会で繰り返した研究の成果がやっと実った。農の会らしい経過だ。
3つに別れた畑の中で、一番とれたのが炭素循環農法の畑である。トレンチャーで深い溝を掘って、チップを大量に入れた。その溝の間に大豆を播いた。畝間を30㎝、株間は15センチ、狭く密に撒いた。株自体は比較的細い。
しかし実の付き方がとても良かった。私は大豆は畝間が狭い方が取れると考えているのだが、広い方が取れるという人が多いもので、私の考え方はここだけで採用された。来年もう一度試させてもらえればと思う。栽培法の探求が好きだ。
土壌分析では一番良い総生寺裏の畑の大豆が、一番収量が少なかった。株姿はずいぶんがっちりしていて、しかも根も抜けないほどしっかりしていた。畝間も株間もかなり広かった。ところが草型だけ見れば最高の状態の畑が、収量的にはあまり良くなかった。
簡単に言えば、草ボケという奴ではないだろうか。大きなカブの中にパラパラとしか実が付いていないのだ。昔下大井で良くできたのは田んぼだった。田んぼ跡地で肥料分が少なかったという事なのかもしれない。今回一番窒素が足りない炭素循環農法の場所が良く大豆が出来た。
大豆は不思議な作物である。欠ノ上田んぼの大豆はサヤは付いたのだが、残念ながら実が膨らまなかった。この理由もよく分からないでいる。カメムシだというせうもあるが、どうも私には納得は行かない。いくらかあった大豆は硬くて、美味しものでもなかった。こちらの品種は岩手ミドリである。
総生寺裏の大豆の収穫は午前中に終わった。終わってすぐにそばかすを30袋を播いた。そのあとすぐ渡部さんが来て耕してくれた。そして、翌日の朝から、小麦の種をまいた。品種はパン小麦のハルユタカである。播種器は大豆の蒔くベルトを一個おきにした。
それでも少し、多く播くことになった。1反で5キロぐらいは播いてしまったのではないか。畝間は30㎝の所と45㎝の所がある。30㎝で進めたら、足りなくなりそうだというので、45㎝に変えた。又余りそうだというので、30㎝に戻した。どうも種が多く落ち過ぎた。これは栽培にどういう影響があるのだろうか。
天気は小春日和で種まきには最高の日和だった。9時に初めて、12時に丁度終わった。トラックターで耕した場所は楽だった。耕運機の場所は均しも大変だし、播種もてこずった。
終わって家に帰ると、大豆の会の委員の人が、大豆の選別をやってくれていた。どこか疲れていた。大変だったらしい。豆腐の分と自給祭用の分だ。何か丁度良くいろいろの片付く日だった。
来年は種まきゴンベイ機の小麦播種用のベルトを購入した方がいいのかもしれない。来年も小麦の会が続けばの話ではある。
午後は2時から、大麦の播種をしに行った。こちらの畑でも渡部さんがタマネギの畑の準備をしてくれていた。お願いして一番下の田んぼ跡115㎡を耕してもらった。
ここに大麦を播くことにした。大麦が取れるほど育つとも思えないのだが、緑肥にしてもいいので、播いて見ることにした。
大麦をやるにしては、寒い場所だ。肥料分が足りない。足りないどころか今年の田んぼの様子を思い出すと、肥料がほとんどない感じだった。その上に、もう播種時期も遅れている。できるとも思えないのだが、大麦の種もあるから、一応播いてみた。追肥追肥で行ってみたい。
土寄せもしたいが、発芽するころにはもう石垣島だから、かなり無理な栽培である。そうだ今の内に、二見堆肥を撒くことにする。二見堆肥は匂いが強いから、イノシシが来る。入れない様に柵をしっかりする。
二見堆肥を撒き終わったところで雨が来た。雨は一気に強くなった。これで堆肥が飛ばされることは亡くなったのだが、土の上から播いた堆肥で効果があるのかどうか。
この後藁を被せることにした。防寒の為である。効果があるのかどうかは分からないが、こういう試すのが好きだ。
大麦の畑を渡部さんが耕してくれているところ。狭い畑で苦労しただろう。
大麦を播種の終わった田んぼ跡の大麦畑。この上に二見堆肥を撒いた。この上に今日藁を播いて置こうかと考えている。藁を播いた方が、少しでも寒さを防げるかもしれない。
麦の会はなかなか難しい。参加者が安定しない。辞めるのは簡単なことだが、それでも続けたいと思っている。それは麦の栽培が消えかかっているからだ。イネ作り以上に危機的な状況だ。パン屋うどん屋みんな好きなのに、小麦栽培が消えては困る。