NHKにはなんとか続けて貰わなければならない。

   

ご近所の黒猫、いつもあたりを巡回している。大分逃げなくなった。

 N国等という馬鹿げた政党ができてしまった。その理由は受信料に対する不信感にある。公共放送というものの意味をNHKはもう少し明確にしなければならない。自分のことを説明することを怠っている。NHKに質問の手紙を出したことがあるが、答えようとしなかった。受信者に回答しないような公共放送があるだろうか。

 公共放送は権力から独立していなければならない。権力に対して批判精神を持っていなければならない。調査報道をしなくてはならない。経費は国民が持つ以外に無い。現在のNHKはその点ではまだ公共放送と名乗る段階には来ていないだろう。権力からの独立性に大きな問題がある。国営放送であれば、受信料を払いたくない。

 NHKの経費負担に問題が出てきている。テレビを持っていても、あるいはテレビの映るカーナビを持っていても、受信料は払わなければならない。さすがに、NHKを見たことも無い人から受信料を取るのでは不満が出るだろう。このあたりの説明も納得できるものではないし、不足している。裁判で正当性が認められると考えること自体がおかしい。何故電機メーカーはNHKの映らないテレビを売らないのだろうか。売れると思うのだが。N国はそういうことをやればいいのだ。

 NHKの映らないテレビというものを売るべきなだ。あるいはNHKを映らないように改造する方法を教えて、改造した人のテレビは分かるようにする。そういう人は受信していないのだから、費用はいらない。スクランブル化というのではNHKは間違いなく成立をしない。

 スクランブル化すれば、有料で見るわずかな偏った人のための放送をすることになりかねない。見てくれる人を無理矢理増やすような放送を行うことにもなりかねないだろう。公共放送という意味では極めておかしなことになる。

 結局のところNHKを見ることが無い人が、増加している。多分NHKを見る人は国民の50%未満なのでは無いか。そもそもテレビというものを見ることが無い人が増加している。これはネットができて、自分の好みの番組がいつの時間にでも見れるという状況が生まれた結果である。友人にきいてもそういう人がかなり存在する。

 公共放送というものは国家としても、社会としても必要だ。必要だとするのであれば、新しいお金の集め方を考えるほか無い。税金でまかなうという考え方もある。健全な国づくりのために、民放では無い放送局が必要である。まず、この公共放送の存在意義を検討しなければならない。

 公共放送という性格上、独立性が担保される必要がある。現在NHKの人事や予算は国会が支配している。このことによって、NHKの中で政権におもねったのでは無いかという事件が、繰り返されている。政府批判の強い番組が中止に追い込まれたこともある。

 教育勅語を復活させるべきだというような考えの人物が、会長職にいたこともある。局内での人事や番組編成には多大な影響が起きた。このことには公共放送というものの意味を変えるのでは無いかと言う危機感を感じた。つまりNHKが国営放送の大本営発表になりかかったのである。

 そのときは質問状とともに、受信料の支払いを拒否し、回答があるまで、支払いを止めるとした。ところが、回答は無かった。極めて残念であったが、回答の無いまま、NHKを見ているので、受信料はまた払い出した。どこか情けない。

 一方、NHKの番組が政権批判ばかりで、左翼的であると言う批判も当然ある。国民全員が、どの番組も納得できると言うことは間違っても無い。常に批判にさらされるのがNHKである。公共放送の宿命であり、国民はつねにNHKの番組を批判的に見ていなければならない。

 裁判所や報道機関は権力から独立していなければならない。権力が見識のある間はまだ良かった。ところがアベ政権では、露骨な報道批判が行われている。民放にはスポンサー企業に圧力を掛けろと公言した自民党議員がいた。これは見過ごしていいようなことでは無い。

 当然、NHKには権力の圧力が直接的にかかっている。人事権があればそういうことになる。どう考えても放送すべき報道が行われないようなことが起きる。一方、総理大臣と皇室の関係の映像が必要以上に流されたりする。公共放送では象徴である天皇は、必要最低限の報道にすべきだ。

 NHKを権力から守らなければならないのは、国民の責任だろう。権力の圧力から、公共放送を守らなければならない。そのためにはNHKは権力から完全に独立しなければならない。

 スクランブル化よりも、税金化の方がまだ良い。税金で運営して貰らい、独立性をどう担保するかを、研究する。せめて裁判所程度の独立性は必要である。会計検査院が財務を徹底的に調べる。調査報道の費用を大きく見なければならない。

 良い国になるためには、良い報道機関が必要である。テレビができてからは最も重要な報道はテレビになった。NHKテレビがあったおかげで、それなりに健全な社会が生まれたと考えてもいいのでは無いか。NHKがあったから、民放も頑張ったのでは無いか。しかし、このところはその逆の方向である。

 アベ政権を作ったのもNHKの役割が大きかったのでは無いか。NHKは政権に批判的な報道も行うと、考えていたところがあった。そのために、NHKの変貌は世論形成に強い影響を与えた。アベ政権にたいする仕方が無い支持層の形成である。アベはダメだけど、野党はもっとダメだの風潮形成は、報道の責任が大きい。

 NHKは優れた番組も、数多く作っている。民放と比べれば雲泥の差である。移民、棄民、外国人労働者。問題の本質を教えてくれているのはNHKでは無いかとまで思う。辺野古基地問題もよく調べている。ここまでやるなら、もう少し突っ込んで、アメリカの本音まで調査報道して欲しい。

 一方、農業に関しては全く不十分である。豚コレラなど、もっと科学的知見を持って、教えて貰いたいところだ。それは福島事故の時にも痛感した。報道が、高い科学性があるかどうかが、国民の命を直接的に守ることになる。NHKは原発放送の総括をすべきだ。
 
 あれだけのデマが飛び交ったのである。うち消す力は公共放送の信頼性の確率である。ところが実に遠慮気味の報道であった。報道することで起きたパニックと言うことがあると弁解していたが、それで正しい、自己検証と言えるだろうか。

 風評自殺のような展望の失われた事態が生まれている。それは原発事故だけでは無い。NHKが未来社会を描けないとしたら、公共放送の価値はないのではないだろうか。



 

 - Peace Cafe