石垣のシーサーを写真展示。シーサー様お許しください。

   

 石垣のシーサーである。ここに写真を並べたものは、散歩の途中で気づいて写真を撮らせていただいたもの。大体のものが字石垣(いしゃなぎら)のどこかにあるものだ。新川や、大川のものもある。一つだけパラピドーのものがある。

 石垣シーサーベストテンを決めようと思っていたのだが、さすがにそれはシサー様に失礼なことなので止めた。甲乙付けがたいと言うこともあるし、余りに多様と言うことで作品としての比較もできない。

 石垣にシーサー観光に来ていただいて、探して歩いて貰うのも面白いかもしれない。石垣では家を花で飾るコンクールがある。シーサーのコンクールを市が開催したら面白いのでは無いか。来島された方に応募していただく。

 飛行場やホテルや飲食店で投票用紙と参加シーサー地図を配る。投票箱を要所にもうける。投票者の中から、抽選で石垣島の記念品が贈られる。こういう企画はどうだろうか。シサー様に失礼なことになるのか。いや、シーサー様はおおらかだから喜んでくれることだろう。

 ともかく、それくらい石垣島のシーサーは面白いと思う。また地図を便りに町中を歩いて貰う価値がある。石垣の良さを楽しんで貰うことにきっとなる。沖縄古民家は石垣にこそ多。まずは勝手に写真展示をさせて貰うのでシーサー様お許しください。

 本来、シーサーはアッシリアのライオン像だ。これは人類が残した最高の彫刻だと思う。それがシルクロードを通り、中国に渡り、獅子像になる。それが何故か本土では神社の狛犬になる。沖縄ではシーサーになり玄関に置かれる。

 神社の狛犬とどこかでまぜこぜになったようだ。石垣には中国から直接影響されたものと、本土から入ったものとがあるように感ずる。屋根の上に置かれるようになったのは、石垣で瓦屋根ができて意向のようだ。その後一対になったようだが、一対はおかしいと言われる方もおられる。




漫画シーサーと勝手ニナズケているタイプの中の傑作。

これと次のものはパラピドーのもの。石垣小学校にある最高のものと、同じ作者では無いか。

この方は今もご存命の方だと思う。市内にかなりの数あるように思う。と言ってサインがあるわけで無いし、作風でそう思うだけのことなのだが。

旧石垣飛行場の跡にできた、県立病院のシーサー。新しいものだと思うが、少し違うタイプのようで、中国制作かもしれない。

堂々とした重量感が随一である。

この2つはすこし古いものでは無いかと見えた。形に妙に生々しいところがあり、犬を飼っていた人が作ったのかもしれない。

存在感のある素晴らしいシーサーだと思う。

これは小さな石作である。小さいが力がこもっている。しかし、どうもシサーとして作られたものではないのでは無いか。と勝手に想像した。

竜を踏まえているらしい。

コーラルホテル前にある大きなものだ。中国風の中では一番堂々としている。何故か変色をしているのが惜しい。


新川の方の医療所の前にある。白御影石を電動工具で作ったものだ。中国制作では無いだろうか。ピンクの御影石のものもある。

これもよくできているとは思うのだが、上手すぎるというか。

南島博物館の展示シーサー、不思議なシーサーが室内にも、庭にも沢山居る。漆喰シーサーである。

南島博物館庭 実にとらわれないもので、面白い。同じ傾向のものが他でも見た。どういう人が作ったのかと思うが、東南アジアのもののように見える。

南島博物館にあるもので、作者は千葉の方から見えた女性方。すごい作品である。彫刻と言っても良いものだ。たてがみや尻尾の表現がなんとも言えない。

飲食店前の瓦シーサー。瓦シーサーである。赤瓦を使うシーサーがけっこうあるが、大体が漫画シーサーになる。

古いタイプではないか。この姿のシーサーは覆いように思う。

この少しとろけかかったところもまた良いものだ。中にはほとんど形を失ったシーサーもある。セメント作りにも見える。

これはユニークなもので素晴らしい。

魂がこもっていて、いかにも魔除けの効果がありそうだ。

これはシーサーを作る窯元。Vサインシーサーがある。この方は次の石垣小学校のシーサーを制作されたかったの兄弟の方の工房だそうだ。

石垣小学校のシーサー。子供達を見守る像として良い形をしている。


この二つが良い。小学生が守られていることが分かる。この前を通る小学生はきっと忘れないことだろう。


骨董品展の展示品。素晴らしい像だ。彫刻的形があるものは少ない。もしかしら、南島博物館のエリマキトカゲ風シーサーと制作者が同じかもしれない。


よこからもいいのだが、光ってしまった。


小さなもので石造り。多分前に掲載した小さなシーサーと同じ作者だと思う。シーサーではないのではないか。

 石垣にはいたるところにシーサーがある。シーサーはそもそも魔除けだ。火伏のスイジ貝と並ぶ家々に置かれる魔除けである。神社の狛犬が各家々のシーサーになる感覚。家というものを神社と同じように考えるところが、面白い。

 これはそもそも家に置く獅子が其の後に狛犬になったと考えた方がいいかもしれない。お城の入り口にアッシリアのライオンは置かれている。そういう意味で石垣の御嶽にはシーサーは見ない。外の方に置いてある御嶽もあるのかもしれない。鳥居だって、後から付けたのだから、シーサーも置くかもしれない。それが柔軟な石垣文化だ。

 石垣のシーサーで一番多いのが、漫画シーサーである。漫画シーサーと勝手に呼んでいるが、どう名付ければよいのか、どう呼ばれているのかはわからない。漆喰シーサーと総じて呼んででいるようだ。作るのが簡単なので、子供教室などはこれを作る。

 素焼きのものでも、漫画シーサーは多い。Vサインをしたシーサーがある。ナマズ犬のような冗談シーサーが一番目立つ。あれは何だろう。家の前にナマズ犬を置くということは、赤塚不二夫流に「それでいいのだ!」ということなのだろうか。これこそ石垣文化では無いかと最近気づいた。

 自信にあふれているというか、飛んでいる。置物風のシーサーもかなりある。床の間に置く方がふさわしいだろうというような、釉の掛かった獅子像が多数を占めるが、写真に撮るほどのものでは無い。縁起物の朱竹の色紙が玄関にかけられているということに近い感覚であろう。

 笑って、疫病神を追い返すという感覚はあるかもしれない。平和主義である。力で追い返すのでは無く、友好的に災いを避ける。沖縄の歴史がそういう感覚を生み出したのかもしれない。

 どこかで良いシーサーを見つけたら、ここに加えて行くことにする。

 - 石垣島