水彩人展作品評 続き

   

水彩人展の一般出品者の作品評を書きたい。今年も良い絵に出会う事が出来た。絵の出会いがあるという事は有難いことだと思う。お会いしたこともない人もいるので、作品をブログに写真掲載するのははばかれるが、会員推挙された人については、ホームページにも掲載するので、一応良いかと思い載せさせてもらう。

 前田陽子さん清々しい絵だ。清らかなもののを感じて見るものとして心洗われる。描くものに対する誠実な心が作る画面。モノに対する態度が良いのであろう。それは人柄の表出。絵に確信がある。モノひとつひとつに対して、揺らぎなく一貫している。それはテーブルにも、背景にも心持ちが行き渡っている。それが描き方に現れている。水彩画では何もない場所を描くという事が難しいのであるが、何もない場所ほど心が配られていて抑制が効いている。と言って、細密描写ではない。ここが微妙に良い。自分の眼で物を見ている。写し取るというのではなく、自分という人間を通してみている。

 

 米倉三貴さん。抽象的な表現の中に、穏やかな世界観が示されている。水彩絵の具の美しい塗り重ねがある。塗り重ねながら、作者ならではの世界に入り金で行くことがわかる。クレーの水彩の美しさに繋がるものがある。積み重ねられる深い色調から、少しづつ複雑な印象が加わる。色彩の構成が心象の世界へ繋がってゆく。そもそも水彩画はこのような絵の為にできた絵の具だったのかと思わされた。素朴に始まり、限りない深さをのぞかせる。これからどういう世界が示されるのかと思うと、期待が膨らむ。

 

 高橋皐さん。面白い風景の描き方である。全体がガッシュ的なマットな表現である。構成が良いのであろう。画面が回り収まる。田面の光りと、山の木々の塊が上手く配置されている。抜け感のない色面が、暗さになっているのだが、微妙なところでその暗さが絵の味わいに繋がっている。今までの水彩人には無かった水彩絵の具の表現の絵である。田んぼを描くものとして、お互い学び合えるところがあるのではないかと思うと、大いに刺激になる。

菱沼幸子さん。色が深い。深いうえに美しい。確かに水彩絵の具があらわした色なのだが、ここでは絵の具で塗られたというより、にじみ出てきたというような自然さがある。紙とのなじみがある。幻想的、永遠性。思いとか、祈りのようなものも感じる。内面的な世界を絵にする力量がある。ここでも水彩絵の具の可能性が良く示されている。人間の心が表現される為の水彩画。紙と水とが作り出す、素朴な色調に戻れば戻るほど、心情のような肉声が聞こえてくる気がする。

 

以上の4人が会員推挙になった。素晴らしい新人が登場する会になった。正直、水彩人は驚くべきことになり始めた。水彩人という場があってよかった。この4人の絵は水彩のそれぞれの方角を示している。なるほどと思う。こういう水彩画はあったのだろうが、それでいて新しい。見せて頂き気付くところだ。どなたもどちらかと言えば、いわゆる公募展的な絵ではない。公募展的な絵というものがあるのかどうかは明確ではないが、目立てばいい。印象が強ければ勝ちというような世界が公募展にありがちであった。大仰な身振りではなく、自分の世界で作者が毅然としている絵が4人登場した。これから水彩画の仲間としてやって行ければ、どれほど嬉しいことか。 20人もの初入選者がいた。その分だけ飾ることのできなかった人もいることになる。全部飾ることが出来ればよいのだが、それだけの部屋の面積がない。水彩人は絵を見て頂くという飾り方をするので、絵はすべて一段掛けである。水彩画をゆっくりと味わっていただきたいから、こういう展示になっている。止む得ない事なのだが、残念なことだとも思う。

 

 

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