水彩人展に作品の出品を
水彩人展(ホームページへのリンク、ここで出品要項はダウンロードできます。)では上野の東京都美術館で毎年1回本展を行っている。今年は20回展になる。水彩人は10回展までは何があっても必ずやろうという事で始まった。その頃は他の会に出している人ばかりだった。水彩画の研究が行われていないという事で集まった。研究が主目的のグループ展であった。それは水彩紙や水彩絵の具の研究に始まり、水彩の表現は、他の絵画材料と何が違うのかというような、回答のないような問題を繰り返し議論していた。銀座の地下のレストランで月一回集まり多い日話に花を咲かせていた。そうした場がなかったので必要で作った。この点では10回展まではかなり徹底した研究主目的の会だった。10回で一度解散して、新しい会として再開したという形をとった。つまり、公募展化するという方針に賛同するものがもう一度集まり、11回展以降再結成したのだと思う。それからの10回である。さらに10回繰り返すうちに東京都美術館で定期開催する公募展になっていた。研究会が公募展に変わったことは、良かったともいえるし、失敗だったともいえる。
今のところかろうじて初期の水彩画を研究するという目的は残っているのではないかと思う。そんな意識はすでに一部のものになってしまったのかもしれない。最近出品を始めた人にすれば、普通の水彩画の公募展だと考えて当然のことだ。水彩画の公募展というものは3つあるが、その中では唯一アクリル画の出品を認めていない公募展である。又サイズは8号から出品できる。これはむしろ当然の考え方で、水彩画の展覧会だからだ。水彩画の展覧会にアクリル画があるのがおかしい。私は以前の会でも同じことを主張していたのだが、アクリル画の方が多くなっている状態ではどうにもならなかった。アクリル画が良くないものだというのではない。アクリル画はアクリル画であり、水溶性とは言え完成したものは油彩画に近くなる素材だ。また水彩画は大きいものよりも小さな絵に水彩画らしい特徴が出ることが多いい。これも大きいものがいけないという訳ではないが、小さいものも同等に認めあうという考え方である。私はこのところ、中判全紙(20号大)しか出していない。10号の作品の出品の同人もいる。
公募展になって1番よかったのは新しい仲間が増えたことだ。しかもその仲間が多様なのだ。だから水彩人展は開催のたびに過去最高の展覧会になっている。年に2回は必ず展覧会をやってきたので、半年ごとに展覧会がある。その都度過去最高になるという展覧会はめったにないだろう。自画自賛だろうと思われるかもしれないが、客観的に見て間違いのない。言ってみれば20年前の始まりがだいぶ低かったのだ。私にはそういう自覚がある。水彩人の特徴は多様であることと、いわゆる公募展的な絵が少ないという事だ。絵には不思議な公募展絵画というジャンルがあって、こういう絵が嫌で公募展というものを見なくなった。水彩画を描いている人であれば、ぜひとも水彩人に出品してみてもらいたい。水彩人は公募展ではあるあ、公募展的な絵ではない。特にひとりで描いているというような人の参加を期待している。昔会津の牧師さんで、亡くなられたら大量の水彩画が出てきたという人の展覧会を見た。生涯一度も発表をしなかったそうだ。発表するつもりもなく、人に見られるのが嫌だから、夜こっそり街に出て絵を描いていたそうだ。私はその方の水彩画を一枚持っている。たき火を囲んでいる人の絵だ。これこそ水彩画だと思える絵だ。
そういう人と仲間になりたい。水彩人は上手だから良いなどという公募展ではない。大きいからすごいなどという展覧会では増してない。本当の水彩画を求めている会だ。その牧師さんに生きている内に会いたいものだった。仲間がいるという事は凄いことだと思う。水彩人には私のような発達障害的人間もいる。お前が居られるような水彩人だからすごいと言われたことがある。絵を語る会が行われている。生きていて、他に一人でもやろうという人がある間は続ける。ここにも参加してもらえる。すべてのメンバーの絵の批評会が開かれている。初めて出した人の絵も、誰にでも意見を聞くことができる。水彩人を自分の絵を深める場にしようという人間は年々減少してきてはいるのかもしれない。私のような人間は少数派になったのだろう。少数でも水彩人に私のような原則人間がまだ存在する。私が追い出されないで、好きなことをやらせてもらっているというところが、水彩人の良さではないだろうか。出品を待っています。