西日本豪雨、溜池の決壊
西日本豪雨で決壊した溜池が21カ所ある。その中で防災重点になっていたのは4カ所。農業用水を確保するために造られたため池は全国に約19万7千カ所ある。年間降水量が比較的少ない岡山県や広島県など瀬戸内地方の7府県に約6割がある。多くが江戸時代以前に造られ、のり面が陥没するなど老朽化したため池が多く危険性が高い。溜池から放流をしていても決壊をしたという事なのだろうか。放流をする人がいなかったという事なのだろうか。正確なところは分からないが、管理者が不明確なところが多いという事のようだ。豪雨になっても特に対応はしなかったところが多かったようだ。農水省は、下流に人家がある場合は指定するように見直すという事である。すでに溜池を農家の手だけでは維持することはできなくなっている。溜池によって稲作が続けられているところがまだまだ多数存在するが、大半が土を固められた江戸時代以前からの溜池なのだろう。こうした堤は草刈り等の日ごろの管理が不可欠である。手入れを怠れば、壊れてしまうものと考えておいた方がいい。
稲作農業者の老齢化の問題が溜池の安全管理に反映している。舟原の溜池は一つ下の集落の欠ノ上の稲作の農家に水利権が存在した。そして、その管理も欠ノ上の人たちが行ってきた。欠ノ上では田んぼをやめてしまう所が多くなった。田んぼをやっていないのに、溜池の管理にだけで参加する事は、負担になっていったようだ。自分が出ることができないので、費用を払い業者にお願いするというようなこともあった。そして10年ほど前からはもう管理に見えることは無くなった。そして水もためないようになった。その頃から少しづつ荒れ始めて、水のない溜池は全体が荒れ地状態になってしまった。それから、少しづつ草刈りなど続けていたが、水を溜めることで崩壊したら怖いので、もう水は溜められなくなった。水を溜めなければ、草刈りなどの日常管理の負担は大きくなる。そこで、現在は浅い水を張ることで、何とか日常管理ができるようにしてある。だから舟原溜池は崩壊するほど水が溜まることはない。
舟原の溜池の歴史を見るにつけ、同じようなことが少なからず全国に広がっているような気がする。地域の稲作農家が溜池の管理を出来ないとしたら、国は税金で溜池を保全することにするのだろうか。あるいは溜池をやめて埋め立てる選択になるのだろうか。江戸時代以前から、溜池を守ってきたのは日本人の稲作に結びついた暮らしである。稲作農業が無くなるという事は、様々な形で日本の自然環境の循環が崩れるという事になる。田んぼがなくなり、水路自体がなくなったところも多い。水路の管理が大変なので、自然型水路をやめて三面コンクリートの水路にする。中には埋設のパイプに水路を変えてしまう。田んぼにはバルブで水が入るというような田んぼも増えている。管理は楽だと思うので止む得ないとは思うが、生物多様性から言えば、大きなマイナスになっている。人手がないとか、国際競争力の合理性というものが優先されれば、日本の自然多様性や循環を破壊してゆくようなことに繋がっている。
地方消滅という事態は、今回の土砂災害の根本的原因でもある。やまで囲まれた地方では、山林の管理に手が入らなくなっている。多くの山では間伐の様な森林の管理が十分には出来なくなっている。何とか間伐まで行っても、そうした間伐材に経済性がないから、山に切り捨てられている。豪雨があると、その間伐された大量の丸太が、濁流に飲み込まれ、一気に下流に流れ下る。橋げた等に溜まる。そして川のどこかでつまりを起こし、川は氾濫を始める。山の手入れができないのは日本の林業が国際競争力を失っているからだ。林業や農業を国際競争力からだけ見てはならないという事だ。経済だけでなく自然環境を誰が、どのように管理するかを決めなければならない。林業者や農業者が今までは国全体で行うべきことを、かろうじて肩代わりしてくれていたのだ。それを国際競争力がないという事で、切り捨てているのがアベ政権の方針である。国際競争力有線で利益の出た企業は果たして、農業や林業がやってい多国土管理を税金で補ってはいないのだろう。社内留保して社会還元が不足している。中には無税の国に余剰を隠すものまでいる。儲かるからというだけで、カジノにまで手を出す政府である。もう駄目なのかもしれない。