大企業の内部告発
昨年は日本を代表するような大企業の偽装事件が暴露され続けた。堰を切ったという事なのだろう。延々と当然のこととして続けられていた偽装製品である。安全品質基準の規定をないがしろにしていたという事件である。様々あったのだが、耐震ゴムがその耐震性として必要な数字に達していないにもかかわらず、数字を改ざんして品質基準を偽装した。自動車の最終検査を無資格者がやっていた。製品の品質基準という国が決めた数値がある。その基準は本来であれば第3者機関が確認するべきものなのだろう。検査が形式的なものにされていたのも経費削減だろう。いずれにしてもその原因は企業の経済競争に勝つためである。経費削減が安全よりも優先される。負けるよりは偽装の方がましという考える。在ってはならないことであるが、実は企業は常に偽装しているものではなかろうか。国も国際競争に勝つためにはあまり厳密な取り締まりはまずいという事なのだと思う。
ところが、フォルクスワーゲンで排ガスの測定偽装が暴露された。ドイツの企業でこれほど大規模な偽装があるくらいだ。世界中の企業で偽装は存在していると考えた方がいい。金属の強度がごまかされていて、それが原発で使われていたという事さえあるようだ。もうこうなれば安全というものが成立していないという事になる。企業を社内検査という性善説で見ていてもだめだという事なのだろう。企業はごまかせるところでは誤魔化す可能性が高い。第3者による検査体制に組みなおす必要がある。今までこうした偽装が表面化しなかったのは、企業内の馴れ合いという事に過ぎない。企業内部では偽装のすべてが当たり前に知られていたことのはずだ。この程度のことであれば、あっても仕方がないと考えた人ばかりだったのだろう。あまりそういうことを、どうでもよいようなことをうるさく言えば、職場の空気を壊すというような実態だったのだろう。それが人の命にもかかわる重大事であったのだ。コストを削減の競争の中で、安全や品質管理が軽視されている。
今回偽装が明るみに出た理由は、大半は内部告発のはずだ。この事実を黙っているのは良くないことだと考える人が出てきたという事である。企業内において内部告発をする、新しい人のことを考える。社会正義という側面から見れば、人間が良い方に変わったという事がある。一部ではあるが良質な人間が存在するという証であろう。内部告発者が出るという職場は良くなる可能性がある。実は企業のことではないが、卵というものを考えると、あきれてしまうような欺瞞に満ちている。今でも自然卵の嘘が普通に蔓延している。放し飼いの出来ない業者が、平飼いを放し飼いと誤解してもらうようにしているのが一般的である。こういうのも偽装の一つだと思う。私自身はできるにもかかわらずという思いから、養鶏業をやることになった。やってみて分かったことは業というものを信頼する方が良くない。自給というものを中心に考えた方がいいという結論になった。自給の卵が自分にとっては世界一の偽装のない良い卵である。
モノを売るという事自体に、見張らなければ油断できないような競争が生ずる。競争があれば、偽装しても競争に勝たねばならなぬという事態に追い込まれる。座して死を待つより、偽装しても勝利する道を選ぶ。スポーツでもドーピングという事が行われるのはそういう事であろう。私は人間とは将棋を指さないことにした。何故ですかと先日友人に言われた。それは人間との勝ち負けの競争が嫌になったという事である。愉快でないのでやりたくない。ある時相手が待ったをした。5段という段位の人が待ったをした。そこでそれはおかしいと思い、そういうことは止めようと話した。しかし、相手はそのくらいいいだろうというのだ。その態度が実に醜かった。勝つためにはルールを破る。またそれに耐えられない自分も嫌であった。今でも機械とは将棋を指す。プロの将棋棋士が、コンピューターを盗み見したとか、しないとかいう事件があった。これを疑った人も醜い。裁いた人も醜い。疑われた人は哀れである。内部告発をした正しい人が、評価される社会にならなければ。