福島の子供たちの甲状腺がんの報告
「福島の子どもは、大丈夫です」
――甲状腺検査の現場から
早野龍五×緑川早苗 / 服部美咲
事故後の福島に科学者として関わってきた東京大学名誉教授・早野龍五氏と、福島県立医科大学准教授・緑川早苗氏に、福島県における甲状腺検査のこれまでとこれからについて伺った。緑川医師は、福島県で甲状腺検査が開始された2011年10月から現在に至るまで、日々検査の現場に立ち続けている臨床医である。(対談2017年7月、執筆同年12月)
シノドスに掲載されていた記事である。この記事を読んでは安堵した。心より良かったと思った。まだ不安の中にたくさんの人がいるのだと思うが、まずは一安心した。これを信じがたいとする人がいたとしても、おかしいとは思わないが。小田原においても、放射能というものを調べている内に、半減期が一定しているという性格から、小田原久野という住んでいる場所の過去数十年の環境状況が見えてきた。つまり丹沢のブナが枯れるなどという現象を調べれる時に放射線量の測定を行うことが、推論の材料になるはずだ。小田原では明らかにアメリカの南太平洋での原子力実験の影響が残っている。多分南の方ほど、影響が強く残っているだろう。フクシマ事故に伴い、多数の放射線量の測定が行われた結果、今までわからなかったことのデーターが広く集まった。研究者だった叔父から、放射性物質を使い植物のなかでどのような循環が起きているかの実験をした話を聞かせてもらったことがある。目で見えないものの移動が見えてくる。
今回フクシマ事故はチェルノブイリと同等の、あるいはそれ以上の事故ではないかと言われた。であるとすれば、子供たちの被ばくは避けられないのであろう。子供たちには急いで福島から離れて欲しいと願っていた。また多くの家族がその思いでふるさとを離れたことだろう。小田原からも離れた人が多数存在した。小田原に暮らしていても、その不安からいたたまれない思いだった人は多数存在しただろう。その頃の私自身の心情は当時のブログを読むと見える。できる限りの測定を続けた。その結果土壌に残る放射能というものは、予想していたよりもはるかに早く耕作する層の土壌からは消えている。何故なのかは科学的な仕組みは想像するしかないが、流れて海に行くのだと思われる。だから河口付近の土壌はかなり高いところがある。要するに水に流すというような解決である。いや、解決といったら漁師さんに怒られるだろう。原子力発電を続ける以上、放射性廃棄物は増加してゆき解決は永遠にない。
福島の子供たち38万人という膨大な検査の結果。今のところ、特別甲状腺がんの発生が高いという事はないという見解だ。これを信じない人も多々いるだろう。余りに多かったフクシマ事故後の東電や政府の、虚偽報告、隠ぺい、ごまかし、誘導。そして一方にもう小田原には人も住めないというようなデマの広がり。横浜市の小田原のみかんを学校給食では使わないという様な、非科学的な対応。それを支持する大多数の大衆というもの。こうした繰り返しで、何も信じられないという気分が蔓延している。それはそうだろうと思うが、この現場で甲状腺検査に当たった、科学者と医師の報告に耳を澄ませてもらいたい。何も信じられないという気持ちが少しほぐれるかもしれない。もうひとつ癌について教えられたことは、少なくとも、甲状腺がんというものは発生したとしても、生涯知らずに健康に暮らして、死んでゆく人も多数存在するという話である。
しかし、フクシマ原発事故で死んだ人もいないから、大した事故ではないという事にはつながらない。再稼働しても構わないという事にも繋がらない。政府からはそのような考え方が繰り返し出される。しかし、小田原の農産物が政府の判断で販売禁止になったことは事実である。私たちはその補償もされないでいる。補償を求めるなら裁判しろという事である。この理不尽はどれほど広がっていることだろう。給食で小田原みかんを食べてはならないという声を起こさせたたのは、フクシマ事故である。食べさせたくないという人も当然である。食べてもらえない人も悲しかった。この不幸を誘導したも風評被害は、原子力を嘘を塗り固めてきた、政府の責任ではないだろうか。その中で受けた農家の被害というものは、一つも償われていない。そして、原発から出る核廃棄物は処理困難物として行き先がない。日本列島という地質学的に変動が激しい場所では、原発を100%安全に稼働させることは無理なのだ。フクシマ事故からそのことだけは学ばなければならない。