毎日オリンピック観戦
日本選手の活躍に嬉しい毎日である。なぜ日本選手が活躍すると嬉しくなるのだろうと、そう思うほど、日本選手を応援したくなる。仲間意識だろう。当たり前のことだが、これは日本人の歴史なのだろうと思う。5万年日本列島で暮らしながら日本人という塊が出来たのだろう。その血筋のような共同観がオリンピックでは湧き上がってくる。しかし、この共同観も江戸時代と今では違うだろうし、またこの先100年もしたら、そいう国家意識は様変わりしていると思う。江戸時代は日本という塊の前に、藩という塊がお国意識としてあった。その藩の中の部落の暮らしが何より暮らしを支えていた。仲良田節という八重山最高の唄がある。柳田国男氏はトラバァーマを臨終の場では流してほしいと言ったそうだが、私は仲良田節が良い。余りの美しさに身も震える。仲良田節に感動してしまうのは、日本人と育ち田んぼが好きになった感性なのかと思う。
アメリカ人、あるいは台湾の人がこの唄を聞いて、それぞれにどう感じるのだろうかなどと思う。日本選手に励まされる。私も頑張ろうと思う人は多いいことだろう。体操競技の内村選手の演技には、やりつくした人間の姿というものが見えた。生きるという事をやりつくすという意味では、全ての人の生きるが千日回峰行のようなものだ。それが田んぼであれ、体操競技であれ、変わるものではない。そういう生きるに直面した毎日を送れるという事の素晴らしさであろう。そうした自分もそうありたい、という気持ちが内村選手の体操が自分を包んでくれた。それは、2位になったウクライナの選手だって同じことなのだが、何故か内村選手の感情移入にしてしまう。それでもウクライナの選手に、失敗しろとは思わなかった。以前は失敗すれば勝てるという時に相手のミスを願う自分が確かにいた。感情移入までは出来ないが、見事に演じたうえで、競技してほしいとは思った。
見ていて、失敗するのではないかとか、負けるのではないかという不安で、落ち着いてみているという事が出来ない。サッカーは予選敗退であった。しかし、私は大満足であった。素晴らしい試合をしたと思う。初戦のナイジェリア戦に負けたことが、予選敗退に繋がったが、自分たちの力は十分に出した良い戦いをした。負けはしたが私は大満足であった。良いチームを作った手倉森監督はすごいものである。ベガルタ仙台監督でもある、手倉森誠氏は素晴らしい監督だと思う。オリンピック出場すら難しいと言われたチームをアジア予選を全勝で切り抜けたのである。ベガルタ仙台をJ2からJ1に昇格させた監督でもある。それだけではない、何と昨年は準優勝まで達成したのである。ベガルタ仙台は特別の補強をして強くなったのではなく、監督が選手を育てて強くしたチームなのだ。日本人監督にも素晴らしい人がいるではないか。何故、日本代表チームはお雇い外国人監督なのだろうか。
柔道は武道だ。道という言葉がついている。自分というものの生きるを極める為の手段である。強いとか、弱いとかいう事を超えたものがある。柔道の試合の判定もスポーツになってずいぶん洗練されたが、勝っても見事でない人も居れば、負けても見事だった人も居る。勝敗では勝った人が金メダルだが、人生ではそう簡単ではない。柔道の試合を見ていると、そうした姿が垣間見える。世田谷学園で教師をしていた頃、金メダルを取った人を何人も近くに見た。また強いにもかかわらずオリンピックに行けなかった人も見た。勝つためだけに武道はあるのでないという事に触れた気がする。オリンピックの柔道を見ると、世界に広がった柔道の中に、日本人の考えた「道」というものが残っていることを感じる。勝負に生きるものこそ、勝負というものを超越する。そういう名人伝のような世界が、オリンピック柔道に残っている気がした。