小浜島の田んぼ

   

小浜島のほぼ中心地が少し窪地になっていて、大岳という山のあたりまで田んぼになっている。この写真は田んぼから集落の方向である。

八重山諸島の小浜島には田んぼがある。横断する長さで3キロほどの7.84 km²という、歩いて回れるくらいの島である。田んぼが大岳(うふだき) - 標高99mのふもとに残っている。全部合わせると3ヘクタールくらいだろうか。昔は自給していた島。今は500人くらいの島。10ヘクタールの田んぼがあれば、500人が暮らせる。5穀を合わせれば、1000人を超えた人が暮らしていたはずだ。その人口が賄えるだけのお米を中心とした食料が生産で来た小さな島。豊かな美しい天国のような島である。大豆は固有種があり、かなり作っていたそうだ。小豆、きび、ひえ、と昔からの品種を維持されている方がいると言われていた。水が豊かな渇水のない島という点が恵まれている。大岳からの湧水が3つほどの水系があるらしい。その水を田んぼで集めながら、田んぼという形で貯水して水を蓄えていたのだろう。田んぼの形態は昔の形をそのまま残している。今は機械でやっていたが、水牛を使って耕していたと言われていた。水の抜けない田んぼなので収穫に苦労するとも言われていた。

田んぼの水源方向である。元田んぼが沼地化している場所もある。

田植えを3月中に行い、6月中に収穫する。台風に合わないためだ。7月には大きな台風が通り過ぎて、根こそぎやられてしまうと言われていた。田植えをされていたお二人から島の田んぼの話を聞くことができた。幸運であった。苗が一度寒さでやられた。10度より下がること等まずないのだが。今年は10度より下がって苗が一度ダメになったとのこと。あの南の島で雪が降ったと大騒ぎだった時のことだ。苗を作り直したので、田植えが今になってしまい、台風が心配だとのこと。もうコナギが出ていた。冬でも乾かない田んぼのようだ。田んぼの絵を描かせてもらった。大岳の上からならもっと眺めがいいのにと言われてしまった。田んぼが美しいのだ。田んぼの姿に小浜島の暮らしが出ている。小浜島が美ら島と言われるゆえんはこの田んぼだと思う。海が美しいなどというのは、都会に住んでいる現代人の感覚である。田んぼがあるという事が美しいという事なのだ。そういうことがわかる島である。

 

田んぼの水源の小さな川。

この島で有名なのは、シュガーロードである。ちゅらさんというテレビドラマで一躍有名になったが、見事な命名の勝利である。この島にはもっと美しい場所が、山ほどある。大岳の西側に広がるサトウキビ畑と牧草地は、さらに美しい。あまり人には言いたくないのだが、この島の御嶽は素晴らしい。静かに、美しく管理されている。本当の御嶽の意味を思い出させる。当然のことだが、水と結びついた御嶽である。水神信仰の感覚のある御嶽である。田んぼのある島の姿。昔は島の方が暮らしやすかったという意味が分かる。八重山では西表島と石垣島は大きな島である。田んぼもあるし、素晴らしい島ではあるが、小さな小浜島のようなところにこそ、日本の原型のようなものが残されている気がする。静かな島で、静かに絵を描けたことは生涯の幸せである。

人懐っこい馬がいた。多分元田んぼの湿地だ。

小さな馬で与那国馬と言われる馬と関係があるのかもしれない。2頭見かけた。この島には肉牛は沢山いる。人口より牛の数の方が多いいだろう。ヤギもあちこちに繋がれて、草を食んでいた。草が茂るという事が、生き物をたくさん飼えるという事になる。自然が豊かというのはそういう事だと思う。牧草地がさとうきび畑と同じくらいある。刈り取ったロールもあちこちに置かれていた。それらが景観に変化を与えている。全体としては放棄地もない訳ではないので、やはり耕作者の老齢化という事は起きているのだろう。

 

田植えの終わった田んぼだが、水の濁りが消えない。微生物の発生がすざましいという事もある。良い土であった。とても細かな粘土質の土である。長い時代田んぼだったのだろう。もしかしたら、4000年の歴史があるかもしれない。稲の種を持った人たちが、台湾から島伝いに渡ってきたのかもしれない。ジャングルからそのまま田んぼに繋がる。こういう土地で田んぼをやってみたいものだと思った。

 - 稲作