絵を描く人生

   

 

描いてきた絵をこうして並べる。次に絵について考えている。

 

絵を描いていると人生を追体験して、確認しているような気がする。大きな希望をもって真っ白な紙に筆をおく。気持ちよく、意気揚々と歩み始める。しかし、待てよ、何かがおかしい。方向が違うのか、躓きがおこる。試行錯誤を始める。思わず所に色を置いてしまい。取り返しのつかない間違いもする。それでも、その間違いが次の前進に繋がる。繋がるかもしれないと思い必死になる。訳も分からない展開が突然訪れることもある。破り捨てなくなるような地獄に落ちることもある。ある時、奇跡が起きて夢のような、かつてない領域に進めることもある。絵を描くことは、まるで生きることのようだ。生きて、ゼロになるのが人生であり、絵を描くことなのだろう。ただ、この直面している画面にひたすら向き合うという事だけができること。だから、また絵を描く。絵を描くことは雪かき仕事のようなものだ。春になれば無かったことになる。絵画というものが価値あることで、それを描く作者に意味が有るという、安心に逃げ込めないのが、絵を描く道。

石垣に来て絵だけを描き続けていられる。こんな時間が持てるということは、生きた幸運のありがたさだ。好きなこと好きなことと生きてきて、ここにいるのだから、幸運としか言いようがない。少し絵が進んだような気がしている。自分らしくやれるような気で描いている。進んだというのは水彩の技術についてだ。人生の方ではない。そういうことがあるのか自分でも驚くのだが、ずいぶん長く絵を描いてきた。60年は意識して絵を描いたことになる。水彩に専念してからでも30年。30年経って今になって気づく、新しい描き方がたくさんあるのだ。技術というものを意識しないできた。技術から絵を考えることはできるだけしないできた。だから初心者が知っていることも知らない。以前、宇野さんから、まず水で濡らしておいてから塗るんだ。といわれてびっくりしたことがある。水彩画法の様々な手順である。私は思いついたことは直にただやるだけにしてきたので、今でもまず紙を濡らしてから塗るムラにならない塗り方というのは、やったことがない。水彩にはこういう手順のような技術が山ほどあるようだ。そういう手順をいまごろになって自分で発見している。

多分技術は余計なことだ。生きることに手順はない。朴訥に生きればいい。水彩画の効果的な手順など身につければ、気取った、他人事のよそ行きの絵になる。しばらく何も考えずに絵に向かうことをしていたら、そこにあるのは学んだ方法が目立つ絵になった。無意識になれば、純粋になるというのは嘘のようだ。その人間の身についた癖のようなものが。むしろ出てくる。偏屈な爺さんは大体のそうやって出来上がるのだろう。独りよがりに向かうことだ。無意識で画面に向かうのはよいとして、その無意識界で学習に支配されていることをのりこえること。漫然とした座禅修行では害悪。技術をむさぼろうというのは、悟りを開こうという乞食禅だ。ただボーと座って描いているのは動物禅だ。正しい自分の方角に向かって、強い意志とエネルギーを根底に持たなければならない。それは目的ではなく、描きたいというエネルギーになる。

私は石垣島に来て、やっと水彩画を始めたような気がしている。いままで、絵を描いていたのだろうかと思うほどだ。新しい景色に出合い、初めての描き方に気付く。石垣島には稲が日本にやってきたころの景色がある。日本の水土の発見。瑞穂の国の成り立ち。もし中川一政氏の様に90を超えて描きつづけられるとしたら、あと25年ある。何とか自分の絵まで行けるかもしれない。そうなれればうれしい。石垣に来ると、絵が開けてきたような気がしてくる。いわゆる良い絵を描くとか、人まねであるとか、そういうことになろうがなるまいが、完全に払しょくできた気がしている。自分をやりつくせそうだ。このままあと25年。せめて10年あれば、ちゃんとした絵が描けそうな気がしてきた。というようなことを葛飾北斎は晩年言ったそうだ。自分に見えている世界の理解がまだ進むようだ。石垣の明るい空気のおかげだ。絵を描いてきてこんなに良かったと思ったことはないかもしれない。

 - 水彩画