水彩人展の祭りの後。
水彩人では仲間だった人が、ずいぶん離れていった。祭りが終わったような感覚の中で思い出す。水彩人は水彩画の研究会なので、研究が違ってくると例えば、水彩画を辞めて油絵とか、アクリル画を中心に制作するとなると、水彩人にいる意味がなくなるということもあるのだろう。あまり深く考えないことにしているが思い出してしまう。どうにもならないことだから早く忘れることだ。水彩人を止めていった人は、かなりいる。中心的なメンバーが毎年退会してきた。今までに10人くらいの人が退会したのではないだろうか。辞めなければ、ずいぶん大勢の会になっていたはずだ。あまり考えないで、自分の中で切り捨てることにしよう。普段は思い出すことも正直ない。そして出来る限り自分の都合よく考えるようにしている。仲間が離れるということは、つらいことであるし、見捨てられたような気分にも陥る。と言ってどうにもならないことをくよくよ考えたところで、気分が滅入るだけだ。それでも、みんなで集まると、どうしても退会した人のことが話題になる。
止めた人の10年後の姿で、辞めた意味はやっとわかるのだろうと思っている。そういう生き方をするためには、水彩人を離れたのだと思うことにしている。止めるときにはその時々の一身上の都合を挙げて止めてゆくのだが、その理由を取り上げて水彩人が反省したとしても、いい結果は出ない。水彩人は残った人でやって来た訳だ。実際のところは一人が退会するということで、大きな影響を残す。水彩人の成り立ちが、参加者全員で作っている形だから。一角がなくなるということは、かなり大きな空洞ができる。それくらい一人一人の存在が意味を持っている。だから、あの人がいないということが、集まると話題に上る。それでもできるだけ思い出さないように自分の中で切り捨てて、自分の都合よく考えるほうがいい。それが水彩人のために一番いい。
良い会というものは、良い混沌を維持しているということなのではないだろうか。すっきりと一本化していればやりやすいし、運営は楽なのかもしれない。それぞれが身勝手であることがどこまで許させるかである。絵を描く人は独立独歩で当たり前である。規則に従うなど自由人の絵描きらしくもない。だから絵を描く人が、絵画団体にかかわらない人が増えているのだろう。会には規約というものがあるが、これもどうなのだろうかと思うくらいだ。本来なら規約などなくて、上手く動いていけば一番いい。それくらい自由に運営出来れば一番いい。互いに思いやる気持ちがあれば、そういうことも可能なはずなのだが、なかなかそうは行かない。これをやっていると、一部の人に負担が増えてゆく。そして誰かに背負わせていることに気づくこともない人が増加する。それはそれでいいのだが、意見が対立したときなど、仕事の負担の大きい人の意見が通ることになる。それならやってくださいと言われてもやりきれないからだろう。
水彩人も少しづつ大きくなってきた。50人の会である。加えて毎年100人以上の応募者がいる。その50人全員が、自由な会だと感じる会でありたい。それが本当のことかどうかは、結果としての絵に表れてくると思っている。今年の水彩人展にはその兆候が見えたような気がした。みんなの絵が、水彩画の研究のようではなくなれば、それはおかしな会になってきたということだろう。今までにないところを求めて、それぞれに進んでいる絵でありたい。しかもその方角は、全員が四方八方であってほしい。権威主義的な絵ではなく、自由奔放な絵があふれてゆくことを願っている。一枚の絵がその一人の人間らしい絵であることを大切にしているかであろう。その人らしいということを、その人間の奥底から湧き出る真髄まで、見逃さず、見とどける仲間でありたい。