真剣な議論が国会で行れたか。
経団連会長の意見では「国会で長時間にわたり真剣な議論が行われ、法案が成立したことを歓迎したい。」ということらしい。私には結論ありきで、形式を踏んだ国会に過ぎなかったと思える。つまり、経団連というところは、こういう実質的でない、おちゃらけを述べるておけば済む機関なのか。国会での議論は到底議論などと呼べないシロモノだった。よくもまああのようにくだらない答弁を繰り返しているのかと思うものだった。政府の答弁術には一定の形式があった。質問をはぐらかす。例えばホルムズ海峡の機雷封鎖に対して、撤去の実力行使できる法律を作るというのが最初のアベ紙芝居の説明だった。そのことに対する疑問の質問は最後に賛成に回った政党からも繰り返しされた。その都度、まるでそっぽのことを延々と説明するだけだった。まるで質問の意味を理解できないのかと思うような答え方をする。延々と日本の自衛隊の機雷除去の技術の高さと、実績の説明をいかにももっともらしく続けていた。
確かに、理路整然と機雷除去について説明をする。しかし、戦闘状態における、集団安全保障のあり方については、何も触れない。これを何度でも繰り返すのが、政府の答弁技術である。いかにも丁寧に、応えて時間稼ぎはするが、肝心の、国民が一番知りたい、集団自衛権とホルムズ海峡との関係は一向に明確にならなかった。石油や天然ガスが来なくなって、日本人の生命の危険状態に陥るという、集団安全保障による、海外派兵の根拠を鮮明にするはずではなかったのか。遠巻きに電気がないと困るというようなことは言うが、電気が止まることと安全保障の3要件の関係は説明しない。具体的に説明してしまえば、天然ガスの入手法などいくらでも出てくるからだろう。結局はイランが機雷封鎖をする根拠も怪しげなものだったということになった。一体あのホルムズ海峡紙芝居の説明の架空性が浮き上がるばかりではなかったか。
同じことがアメリカ軍の邦人救出の母子の哀れな紙芝居の、曖昧な説明は最後には日本人が想定されているわけでもないらしかった。言った何百時間に及ぶ、国会議論の答弁とは何だったのか。要するに時間稼ぎだけのものだったのだろう。国会議論など期待してはいけないのだ、と思っていたが、経団連会長によるとあれが真剣な議論だというのだ。こんな認識だとすれば、頭が相当に緩んでいる。たぶん適当なおべんちゃらを言えばいい役回りのつもりなのだ。こんなことでは日本の会社が衰退を始める不安になる。もちろん、口先の建前を本気にするやつがあるかということなのだろう。国会と国民の関係を適当にしておけばいいと考えているということは表している。法律さえできれば議論などどうでもよかったのだ。今回は、何でも反対の野党ではなかった。野党の質問は真剣なものだった。それだけに政府のはぐらかし答弁にはいらだつばかりであった。
中国を仮想敵国にできないから、議論が見えないという意見があったが。誰がどう考えても、中国を仮想敵国として議論をしていたとしかおもえない。日本の安全保障に関して様々な考え方があるのは当然のことだ。政府の主張するアメリカ依存の集団安全保障もその一つの考えなのだろう。韓国が中国にすり寄るのだって、批判する人がいたが、日本がアメリカにすり寄るのと同じことだ。韓国の方が、北朝鮮という爆弾を抱えて現実的なのだろう。日本がどうあるべきかということを、国に任せておくのでなく、国民全体で議論するというのが、必要なはずだった。国にしてみれば、説明したころで理解が深まるような、内容ではないという認識だったのではなかろうか。実績で信頼を得てゆきますと今度は発言している。ここまで国会の説明をないがしろにしたのでは、民主主義というものが成長し、国民が成熟してゆくことは当分無理だと思った。