安保法案の可決
安保法案が成立した。多数決で議会は出来ているから、こうなることは決まっていた。この背景の問題点は、自民党の支持者は3分1程度で、3分の2の議席を確保するという、小選挙区制というおかしな選挙の仕組みだ。日本人全体で見れば、この法案を良しとする人の方が少ないということが、まだ救いである。この法案は大きく2つの問題を残したまま成立した。国際情勢が変わったから、憲法解釈を変えるというご都合主義にある。集団安全保障が日本国憲法で認められているかどうかが、曖昧なまま作られた法律であるということ。もう一つは、アメリカの圧倒的軍事力というものに、陰りが見え始めたということと、同時に中国の軍事力が徐々に大きくなり始めているという、国際情勢の中で、日本がただアメリカの支配下にあるという、立ち位置を強調することが、日本の安全につながるのかどうかだろう。この2つについては、国会では詳しく、丁寧な説明を政府はしてくれるはずだったが、ついに明確な説明はなかった。
憲法違反の法律が通ってしまったのではないかということは、よく言われたが、立憲主義を逸脱してしまったという恐れである。憲法に従って、国の運営を委任された政府が、自ら憲法を軽んじてしまった。現実論はともかく、本来であれば、憲法を改定してから法律を作るのが、まっとうな手順であろう。しかし、3分の1しか本当の指示はない自民党としては、国民投票によって、憲法の改定をすることは不可能と考えているだろう。そのために、矛盾を承知で解釈の変更という、訳の分からないやり方でことを進めてしまった。多くの安保法案賛成者が主張するところの、世界情勢が大きく変わっているは、アメリカの衰退ということなのだろう。緊急に法律を作り、アメリカの軍事力に日本が加わり強化しなければ、日本の安全は守れないということだろう。それは中国の軍事力の増大が背景にある。しかし、外交的努力という意味では、アメリカ一辺倒が日本の安全になるかどうか。お隣の韓国はむしろ中国接近をしている。
兵器が巨大化して、大国同士の戦争というものは、ほとんど考えられない情勢である。それは日本の武力の大小にかかわらずである。日本から戦争を仕掛けない限り、日本への全面的な軍事攻撃の可能性は、年々小さくなってきている。それがここ50年の世界の軍事力の巨大化とみてよい。しかし、テロの起こる可能性は逆に年々高まっている。テロも複雑化し、より大きくなり、政府がテロ集団を抑えきれずに内戦化している国もある。日本の安全保障を考えれば、国家間の全面戦争ではなく、当然、テロ的な攻撃への備えを中心にしなければならない。だから、自衛力を高めるというより、警察力を高めるということが重要になる。国境の島のことを問題にするなら、海上自衛隊ではなく、海上保安庁の強化である。軍事バランスということではそういうことになるが、その前に行うべきことが完全に抜け落ちている。
平和外交である。憲法に示されているように、平和的手段で国際紛争を解決するということである。政府が変えたいのは憲法のこの部分で、国際紛争は武力によって解決するしかないと考えているのだろう。平和的解決とは、領有権問題など日本から積極的に国際司法裁判所に提訴してゆくことだ。紛争化する芽を早く摘み取ることが、戦争を回避する一番の道だ。その努力をしないということは政府が憲法に従っていないということになる。中国との尖閣問題では、日本が国際裁判を拒否している。戦争の芽を摘み取るためであれば、領土問題での我慢も必要である。それは日本が屈服したことではない。安保法案が成立した結果、テロが日本に対して向けられる可能性は増大した。日本政府がテロの可能性が減少したとする理由の説明もなかった。テロの対象にならないための、平和外交を早急に始めなければならない。